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2015年02月23日03:32

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四天王寺雑感。

 元は天台宗。しかし独立して和宗を標榜している。今は「和」の名の下に何でもあり。いわゆる口伝天台的な適当さが影響しているとも言えようが。

 天台系だから元三大師堂があるのは当然だが、小さいとはいえ、大師堂では弘法大師が祀られており、隣地には四国八十八個所のお砂踏み場まであるのだ。
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元三大師堂
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大師と言えば、[弘法]大師堂
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大師堂横の大師立像と砂踏み場

 なお、お大師さんの月命日21日は毎月大師会になっているが、普段は大人300円が必要な中心伽藍を無料開放し、五重塔最上階回廊も開放しているほどで、特に2月21日の大師会は露店の多さも手伝って、2月3日の元三大師会より盛大だ。これでは真言宗寺院と見紛う。主客転倒も甚だしい。
 
 その上、元は本山派修験だったろう行者堂で役行者を祀っていた場所を、親鸞聖人に祀り変えて見真堂としている。
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 ところが、実際には、元三大師堂では、台密の次第ではなく鍋護摩=修験流の護摩修法をしているのにである。この分では、聖人として、いつキリストやマホメットを祀っても不思議ではない(笑)。

 ところで、西の四天王寺中・高前の、石鳥居は、正中があの松下幸之助の寄進で再建した西大門(極楽門)を通って、中心伽藍の西重門に至っている。大雑把な方向としては、救世観音と四天王を祀った金堂に対する鳥居に見えるかもしれないが、実は全くそうではない。
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石鳥居
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西大門

 実は、この正中のラインは西重門を経て、中心伽藍の金堂と五重塔の間を通過し、通称「猫の門」を通って、太子49歳像(1月22日のみ公開の秘仏)が祀られている太子殿(聖霊院)奥殿に至っているのだ。
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伽藍を望み、正面中央が西重門。左右に金堂・五重塔
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通称:猫の門
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門の猫
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[太子殿前殿側から見た]太子奥殿


 四天王寺HPではインドでも鳥居があるとか後付けの理屈を開陳しておられるが、太子奥殿が西の鳥居建造当時から中心施設としてこの位置にあるのだとすれば、これは、太子殿前殿の太子2歳像=童子像のような祟る神ではなくなった太子49歳像を神とする扱いではないだろうかと邪推してみる。門に眠り猫があるのもそれに符合している気もするのだが。
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正面から見た太子殿前殿

 また、木造から石造りになったのが、四天王寺別当が忍性で北条貞時が執権だった永仁2年なのだが、鎌倉大地震(M8クラスの相模トラフ地震)のために永仁に改元された翌年なので偶然とは思えないタイミングなので、御霊信仰に基づき、菅原道真をはじめとする祟る神とされたものに関わる全てが丁重に祀られたようなことが行われ、この改築もその一環ではなかったかと想像されるが、史実の確認はじめ、梅原説に賛否両論あろう識者の教示を乞いたいところ。
 
 なお、「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書かれた鳥居の扁額自体は、阿弥陀信仰と関係づけられたもので、いわゆる「日想観往生」という僧尼の入水自殺まで起こった信仰に関わる聖地だったことに基づくが、この信仰は平安時代以降のものなので、石鳥居の造営当初から付されていたわけではない。

 ただ、阿弥陀浄土の東門に直結するのが、四天王寺の西にある石鳥居であり、その正中が太子殿奥殿に通じているのなら、例えば,海神でもある住吉大社が摂社の大海神社も含めて、西=大阪湾の方向に鳥居ー本殿の正中がある訳だが、そのような通常の神社のケースとは逆に、神の来る道・通り道ではなく、むしろ西方浄土に神送りする為の通路ではないかと思われるのだが。
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【御参考】四天王寺HP・境内マップ http://www.shitennoji.or.jp/map.html
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