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2015年03月11日20:12

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自尊心と正義

教諭指導「やりすぎ」小6骨折
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3313813

僕が小中学生の時も、所謂、怖い先生ってのは居た。
直ぐに手の出る先生というのは居た。

そういう先生に対して、子供たちは、怖いからとよく言う事を聞いたもんだった。
子供というのは、よく人の事を見ていて、ああこの先生だったら少しくらい口答えしてもいいかな、とかナメた態度を取ってもいいかな、と先生を見て判断する。

だから、先生によって生徒の態度というのはコロコロ変わる。

それはきっと今も昔も一緒なんじゃないだろうか。
大人になって、いくら今の子供は生意気だの子供の躾がなってない、だのと偉そうに言っても、昔から子供というのは、大して変わらない。
こういう態度を取る子供はいる。

ただ思うのは、自分にも今年から小学生に上がる息子がいるし、自分の息子には、先生に対する敬いの気持ちと、先生の仰ることは確りと聞くようにと躾はする積りだ。
だが、そんな息子だって、小学生になって他の友達との関係性の中で、先生を値踏みするようになるかも知れない。
まあ、自分もそうやって大人になったんだから、子供というのはそういうもんで、人間というのは、狡くて強かなトコロがあるものだ。

だから、先生には指導の中で、手が出ることは或る程度は仕方ないものだと僕も理解している。

かく言う僕も、先生に叩かれたコトはあるし、その際に親にそのコトを言おうものなら、親にこっ酷く叱られた。
先生に迷惑を掛けるんじゃないと、父親なんかには、先生の倍くらいの拳骨や平手打ちを食らった。
まあ、悪いの自分だ。
仕方ない。

だが、僕の子供の頃の所謂怖い先生ってのは、加減というものを知っていた。
それは、きっとココロの中でブレーキを掛けていたんだろう。
あくまで教育の中での体罰としての冷静さを失わなかったんだろうと。

だが、この記事の教師はどうなんだろう。
加減を知っていたのか。
いや、本人がやり過ぎたと言うくらいだから、加減を知らなかったんだろう。
きっとココロの中でブレーキを踏むことを忘れてしまっていたんだろう。

ハッキリ言って、この先生の体罰は指導ではない。
叱っているのではなく、本人の怒りに任せた暴力だ。
そこに冷静さはない。

よく家庭内での虐待が取り沙汰され、mixiでは親に対する批判が集中するが、この教師のやってることは、指導に託けた虐待だ。
何故、家庭内の虐待と比べると批判が少ないのだろう。
やってることは一緒なのに。

もちろん、この男児も悪い。
僕がこの男児の親なら、人に対する礼儀や先生に対する敬いのことについて、こっ酷く叱るだろう。

だが、それとこの教師のやったことは別だ。

記事を読めば、この先生は今回が初めてではない。
もともと、直ぐに手が出るタイプの先生だったし、きっとそれも叱るのではなく、アタマに血が上って手が出てしまうタイプの先生だったんだろう。

さっきも書いたが子供たちは、先生を値踏みする。
だから、こんな怖い先生には、普通は逆らおうとは思わない。

もし、僕がこの男児の親なら、授業中の態度であったり、先生への態度についてはこっ酷く叱るかも知れない。
そのことについて、先生に対して一緒に頭を下げに行くかも知れない。

でも、先生を蹴り返したことについては、きっと何も咎めないだろう。
子供たちだって自分たちの中での正義があるし、自尊心もある。
それを理解してやるのも親だ。

彼は彼の中で、先生の暴行について許せない所があったんだろう。
彼なりの理由があったんだろう。
そして僕は、それは間違っていないと思う。
彼の行動を支持する。
むしろ、そのような状況の中、反撃した彼の男気によくやったと思うだろう。

決して口には出さないが。
でも、反撃した気持ちは理解できるくらいは言って抱き締めてやるかも知れない。

親とはそんなもんだ。

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