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2015年02月20日17:24

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藤井将雄投手

■プロ野球界で『男気』を見せた選手たち
(ベースボールキング - 02月18日 18:30)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=212&from=diary&id=3280236

https://www.youtube.com/watch?v=vKWhzBcl0D0

炎のセットアッパー 藤井将雄選手の墓参り

https://www.youtube.com/watch?v=7IoMHJPFiP4

ホークス・藤井将雄投手の訃報と追悼番組 2000年

https://www.youtube.com/watch?v=nUQdD1GFVNM

勇者たちの夢 〜 藤井将雄 〜

https://www.youtube.com/watch?v=c_YpUUtIB-8

初優勝 ダイエーホークス栄光への道のり 藤井将雄 篠原貴行 1999年

『夏頃からマウンド上で咳き込む様子が見られ、周囲は「登板過多による疲れではないか」としていたが、日本シリーズ前の身体検査で異常が見つかり、シリーズ後に入院。本人には知らされなかったが、この時すでに「余命3ヶ月の末期肺癌」だった。

藤井が末期肺癌であることを知っていたのは、藤井の家族と当時のオーナー代行・中内正、当時球団代表の瀬戸山隆三などのフロント上層部、王をはじめとする首脳陣の一部、個人後援会、後援会長から病状を知らされた若田部健一などの一部チームメイトなど[1]、極々身近の者のみだった。

「マウンドに上がるという気持ちがあれば、気力で病気を克服できるかもしれないから」という家族の懇願もあり、本人には間質性肺炎と偽った病名を伝えた(間質性肺炎自体も重病)。球団首脳もその意向を組み取り、本来は戦力外=解雇となってもおかしくないところを、藤井が優勝に貢献する活躍を見せたことを踏まえ、年俸倍増で契約更改した。藤井は、11月に行われたV1記念パレードの翌日に入院した。』

『2000年は入退院を繰り返しつつ、2軍の練習に参加して2軍戦6試合に登板するまで回復した。最後のマウンドになるかもしれないことが伝えられていた王は藤井に「今すぐ1軍に上がって来い」と電話したが、藤井は「(2軍で)結果を出せていないのに(1軍に)上がることなど出来ない」と固辞、1軍で登板することは無かった。6月末に再入院したが、入院先に選ばれたのは藤井に対する配慮か、福岡ドームの隣接する国立病院九州医療センターだった。』

『2012年、横浜DeNAベイスターズに、かつて藤井とバッテリーを組み、逝去まで後援会会長を務めた北方氏の息子の北方悠誠がドラフト1位で入団した。選手名鑑の欄には「憧れの先輩」と書かれている。その北方は2015年に福岡ソフトバンクホークスと育成選手として契約する事になった。』

ドラマ内で、若田部氏に連絡を取った北方氏。
息子さんが、今年育成だがホークスに入団した。

https://www.youtube.com/watch?v=REsm9J4HVYI

【DeNA】北方悠誠 ピッチング集 MAX157km!

https://www.youtube.com/watch?v=KMDlUSPkbDQ

ソフトバンクホークス 北方 ブルペン

活躍して欲しい。
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