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2015年01月15日21:39

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ありがとう文化屋雑貨店

こんばんは。いやー、寒いっ! たった今、帰宅したばかりで、雨にうたれた身体を温めるべく風呂を沸かしているのだが、ひと風呂浴びる前に軽〜く今日の出来事などを書いてみようと思う。

ネットのニュースなどで知っている向きもあるかと思うが、原宿の文化屋雑貨店が今日で閉店した。十代後半〜二十代前半にかけてのおれにとっての憧れのショップが無くなってゆくのは非常に残念だが、これも時代の趨勢だからしかたない。ややセンチメンタルになりつつも、おれは最期の買い物をしに行った次第なのだ。

志木での野暮用を済ませ、原宿に降り立ち、十代〜二十代の子供たちであふれかえってる竹下通りを通り抜け、一路、文化屋雑貨店へ。ファイヤー通りにあった頃と違って、やや奥まったところに引っ越してからは二〜三度しか行ってないダメな客のおれだけに、道に迷ってしまい(苦笑)、たどり着いた時は閉店二時間前。それでも店内は若者たちや、どこぞのTV局か製作プロのクルーが入ってて大混雑。店主の長谷川義太郎さんは、淡々とした感じでインタビューに応じていた。

そもそもおれが文化屋雑貨店に惹かれたのは、'70年代後半のパンクロック〜テクノポップが台頭してきた世代の人間やから、その影響をモロに受けたのだった。
音楽雑誌やニューアカ(のハシリ)雑誌しか読んだことなかったおれは、当時、京都の精華大学デザインコースで学生をやってた。大学で知り合った『遊』の数少ない愛読者やったO部さんから、「立体造形コースに、山口小夜子みたいな美人モデルが来てるよ!」との噂を聞き、おれはその人にいたく興味を持ったのだった。
その人はY子ちゃんといって、どこで見つけてくるのかしらん、と思うレトロなドレスを着こなし、先の尖ったピンヒールを履き、豹柄のビニールトートバッグや同じ柄のスカーフを首に巻き、いつもフラフラと構内を歩いていた。
その様子はまさに「デカダン!」って感じで、おれは思い切って彼女に話しかけてみたところ、何と彼女は『ロックマガジン』の阿木譲がプロデュースした覆面バンド、R.N.A.オーガニズムのメンバーだ、と幼女みたいなキュートな声で話してくれ、おれはますます彼女を気に入ってしまったのだった。まあ、ゆうたらおれにとって初めてのファッション・アイコンやったわけやね。
彼女が持っているアイテムは、東京の文化屋雑貨店でなら手に入るらしい、ということを教えてもろたのは、のちにゴスロリ系(その頃はそんな呼び名はまだ無かった)ノイズバンドを一緒にやることになる京都産業大学の学生やったSONOKOからだった。

それからというもの、東京に行った際はファイヤー通りの文化屋にはよく通ったわぁ。特に豹柄シリーズはスカーフ、バッグ、ベルト、シガレットケース、陶器類といろいろ買ったなぁ。あと、缶バッジ、「きいちのぬり絵」風ポストカードとかも。あの、いかにもチープな代物、という雰囲気がたまらなくいとおしかったのだよ。

時代はやがてバブル期になり、猫も杓子もハイファッション系ブランドのバッグを意気揚々と下げ、日本で未発売の新作をいちはやく海外で買ってきたやつが自慢するよーな、田舎者根性まるだしな時代になっていったので、安くておもろくてカワイイ物が好きな人にとって、窮屈な時代やったろうなあ、と思う。

それでも今日まで文化屋雑貨店が生き残れたのは、ひとつに長谷川さんの人徳や、商品をチョイスしたりプロデュースするセンスのおかげかなと思う。
いまでは「プチプラ」なんて言葉があるくらい、安くておもろくてカワイイものは巷に溢れている。100均やワンコインショップのアクセなど、センスいいものが探せば手に入るし、ヴィレバンに行けばサブカルテイストな文具や雑貨が盛りだくさんだ。それらを見て、おれは文化屋雑貨店の遺伝子が受け継がれていったように思えてならない。

長谷川さんもそんな世間の有り様を見て、自分の役目はひとまず終わった、と思われたんやなかろうか。ハイファッションの権威を笑い飛ばす、安くておもろくて(これが一番のキモ)カワイイものたちの魅力を伝える、という。

お疲れさまでした。

そして、ありがとうm(__)m
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