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2015年01月03日00:03

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拝むって・・ピープルはシープル!!羊が一匹、羊が二匹、

干支なんでヒツジたちで「未」文字つくります マザー牧場が年末年始にヒツジづくし
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=3186664

ピープルはしばしばシープル

羊飼い

イエス・キリストを「善き羊飼い」、信徒を「ストレイシープ」、シェパーズ・クルークをモチーフとした司教杖など宗教との関わりは多い

有名な羊飼い
ダビデ:旧約聖書に登場する古代イスラエルの王
パリス:英雄叙事詩イーリアスに登場する英雄
ロームルス:ローマの建国神話に登場する建国王
ブクル:ブカレストの建設者[5]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8A%E9%A3%BC%E3%81%84
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シェパードって忠犬の?と思ってWikiしたら
http://en.wikipedia.org/wiki/Shepherd
「羊飼い」論はすごく深い…こりゃかなりお勉強しないとダメだわ
「Good Shepherd」はイエスに与えられている言葉でもあったんですね

『羊飼い』
http://www004.upp.so-net.ne.jp/msaka/
わたしはよい羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。
わたしは羊のために命を捨てる。
(イエスのことば−ヨハネによる福音書10章14〜15)

また、他の宗教の神様や聖人たちも「良き羊飼い」扱い
http://blogs.yahoo.co.jp/hop_step_pingu/51983440.html

宗教画(プロパガンダ)善き羊飼い
フォト
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聖書の妄言1・・
野宿していた羊飼いにキリストの誕生を天使が知らせたっていうストーリー
キリストの誕生の12月には野宿できない
パレスチナ地方は11月から3月は「雨季」になります。
現在、この地で昔ながらの生活を営む放牧民(羊飼い)は「4月から10月」の間しか「夜通し」家畜の放牧をすること無いようです。
http://www.pcs.ne.jp/~yu/twi/qumran/qumran.html
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●一番、最初に星をみていたのは誰?

・・いろいろ調べていくうちに、こんな研究が発表されていました。それによると、フランスのラスコー壁画(1万5千〜1万年前)に描かれたいくつかの黒い点々が、おうし座のすばるを、また夏の大三角と模写したと思われる、というのです。
この研究が正しければ、「星をみてそれを記録した最古の人々は」1万5千〜1万年前のフランスに住む旧石器時代の芸術家たち、ということになるでしょうか。

●「星座」とは

 それから時代が進み、昔の人々は、明るい星をむすんで「星座」を想い描きました。星座とは、星と星を結び,動物や人物、道具などに見立てて,天球上の区分としたものです。
星座は、英語で、コンステレーションconstellationです。conは「共に」という意味があり、stellaは「星」、tionは名詞につく語尾の言葉ですので、直訳すれば「星の集まり」「星の散らばり」となるでしょう。
 現在普通に使われている星座は、西洋から伝えられた星座です。
しかし、日本で星座といえば、明治初期までは、中国の星座「星宿」でした。
西洋の星座が日本に入ってきた明治期以降も、しばらくの間、constellationは「星宿」と訳され、大正期ごろよりやっと「星座」と呼ばれることになったようです。

●星座の起源

さて、星座は、いつ、どこでだれがつくったのでしょうか。

 かつて、星座は「ギリシア星座」と呼ばれていた時代がありました。
ご存じのように、星座には、豪華絢爛、ドラマチック、ロマンティックなギリシア神話が描かれていたからで、星座の歴史も、今から3000年ほど前のギリシアで始まったものと考えられていたのです。
しかし、今から100年と少し前になって、だいぶ話は違ってきました。

 今のイラクのあたりに、チグリス川・ユーフラティス川という二つの大きな川があって、そこにかなり古くから文明が栄えていたのはご存じかと思います。歴史の教科書でもおなじみの「メソポタミア文明」です。

メソポタミア文明といえば、粘土などに尖ったヘラのようなもので刻んだ「くさび形文字」が有名ですが、そのくさび形文字が彫り込まれた粘土板などから、文明の詳しい様子、そしてギリシア以前の星座の古い歴史が明らかになってきたのです。

今では、星座は、ギリシアより現在はもっともっと古い約5000年あるいはそれ以上も前に、今のイラクを中心としたメソポタミア地方で起こったものとされています。


 星のガイドブックや星占いの本には、よく「約5000年前、カルディア人(新バビロニア人)という羊飼いが、夜羊の番をしながら、空に星座をつくっていった」とあります。

多くの人がこのような文章を目にし、これが常識だとお思いではないかと思います。
しかし、これもあやまりです。星座の起こりについては、実は、まだまだはっきりしないことが多くありますが、カルディア人が活躍したのは約3000年前のことですし、カルディア人よりもっと古い今から約5000年も前にシュメール人やアッカド人といった人たちがつくり始めたのが星座の始まりの始まりではないか、というのが定説となっています。

 1.黎明期〜メソポタミア

(1)シュメール人・アッカド人

 シュメール人は、BC.3500ごろに繁栄したセム系(メソポタミアを統一したアッカド人やバビロニアを建てたアムル人、新バビロニアを建てたカルデア人、シリアを中心に活躍したフェニキア人、イスラム教を生んだアラブ人など )の農耕民族です。

神殿や塔など日干し煉瓦の建築物を建設したことなどがわかっています。BC2400頃、同じくセム系の農耕民族アッカド人に征服されますが、シュメール人もアッカド人も、共に高度な文明を築いた農耕民族で、星空をよく見ていた形跡があります。
2つの民族の伝承によれば、


  恒星全体は「天の羊の群」
  太陽は「老いた羊」
  惑星は「老いた羊の星」、星にはみな羊飼いがいる
  “ジブジアナ”という明るい星は「天の羊の群の羊飼い」

 研究者は、ジブジアナをアルクトゥルスと考えており、もしこれが正しいとすれば、すでに、うしかい座の原型ができあがった、ということになります。
 しかしながら、シュメール人もアッカド人も、現在も使われている星座そのものをつくったという直接の証拠がないのが痛いところです。シュメール人によって星座の名前や絵を書かれた粘土板は、今のところまったくといっていいほど見つかっていないからです。

しかし、メソポタミアで以降つかわれている星座の名前は、たいていがシュメール語で書かれているそうです。
そういうところから、星座をはじめてつくった人としてシュメール人の名前があげられてくるわけです。
 ですから、星座の原形をシュメール人がつくり、それに続くメソポタミアの人たち<アッカド・アモリ・アッシリア・カルデア(バビロニア)といった人たち>が、星座として発展・整理していったのではないかと考えるのが自然なわけです。
いつの日か、星座の名前が書かれたシュメールの粘土板が発掘される日が来るといいですね。

(2)アモリ人・カッシート人・

 さて、はじめて考古学的に星座の名前が登場するのは、今から約4000年前のことです。
紀元前2000年頃、シュメール・アッカド人のあとにアモリ人(アムル人ともよばれる)です。
アモリ人は、「目には目を歯には歯を」で知られる『ハンムラビ法典』で有名な古代バビロニア王国を作った民族。
彼らも、シュメール・アッカドの高度な文明を受け継いでいました。アモリ人のが残した、今から3800年前のBC1800の記録には、荷車(おおぐま座)、天の狩人(オリオン)といった星座や、現在も星占いの星座として知られる「黄道十二星座」のうち、いて・かに・てんびんを除く黄道9星座が登場しています。つまり、このアモリ人が、「確実に星座をつくった、とりあえず確実な人たち」ということになります。

農業を行うために、星ををよく観察し季節を知る必要性があり、やがて暦をつくっていったのでしょう。
 その後、ハンムラビ王が亡くなって、古代バビロニア=バビロン第1王朝が衰退していくと、カッシート族に国をのっとられてしまいます。カッシートの時代は400年も続きますが、あまりよくは知られていません。
しかし、境界石(クッドルー)と呼ばれる石碑が大きく注目されます。
 クッドルーは、王が領主に授けた土地所有についての誓約書のようなものだとされています。楔形文字と絵が書かれていて、その絵には動物の姿が多く描かれています。かつては、これが星座絵だといわれていましたが、残念ながら、神々の姿(シンボルマーク)である、ということに現在は落ちついているようです。

 しかし、クッドルーの絵の中には、魚ヤギやサソリ人間、水がめをもつ女神があったりして、これが星座のもとになっていった、という見方もできそうです。

(3)アッシリア

 今から約2700年前の紀元前6〜7世紀、アッシリア朝と呼ばれる時代になると、黄道12星座だけでなく36の星座が、粘土板に描かれるようになっていきます。
アッシリアの王の中でも有名なB.C.669から626のアッシュール・バニパル王は、粘土板をたくさん作りました。その中にいろんな星座が書かれた資料も多く含まれています。黄道12星座を含む36の星座がみつかっており、星座の基本が確立したことがうかがえます。

(4)カルディア人

 今から約3100前になると、先ほど紹介したカルディア人が登場します。カルディア人は紀元前1100年ごろ、メソポタミアにやってきたアラム系(今のシリアのあたり)地方遊牧民です。そのころのネブカドネザル1世がつくった境界石にはいて座・さそり座・うみへび座などの星座名が認められています。
 B.C.645頃からB.C.550頃まで繁栄したカルディア王国(新バビロニア王国)は、カルディア人が起こした王国ですが、彼らは、天文学・数学などを発達させました。
「天文学はカルディアの賜」といわれるほど、カルディアの自然科学や天文学は高度でした。1年が12カ月、1週間は7日、1日は24時間、角度の1周は360度といった現在の常識となっている単位は、みなカルデアで産まれました。
また、惑星の会合周期や日食予報など、かなりしっかりと計算され、粘土板にもその数字が残されているといいます。

 
*エジプト文明と天文学

 星座の起源はメソポタミア地方ですが、古くから、エジプトでも天文学が発達しています。
 古代エジプトの中心地は、ナイル川下流の広い三角州(デルタ地帯)とナイル川中流の細長い平野部分の関東地方ほどの面積の場所でした。ナイル川では、毎年夏になると大雨が続き、そこに高い山の雪解けが重なり、下流・中流は洪水に見舞われるのでした。洪水はまた、人々に肥沃な土地を与え、早くから農業が豊かに発達しました。

 古代エジプト人は、ソティス(=水の上の星の意味、おおいぬ座のシリウス)を重要視しました。それは、全天で一番明るい星であったということと、シリウスが夏の間太陽の光で約70日程姿が見えなくなった後、夏至の頃日の出直前に現れる始めると、間もなくナイル川の増水が始まるからです。
このシリウス=ソティスが日の出の直前に見え出す日が、エジプト暦の元旦とされ、そのような注意深い観測から、1年を365日という、現在も私たちが使っている太陽暦を手に入れることになったのです。

 このように、エジプトでも天文学が発達し、星座もつくられました。
エジプトは太陽の通り道にそって36個星座をつくり,時を測りました。今から3000年前の紀元前1000年頃には、クレオパトラが新婚旅行で行ったというエジプトのデンデラ遺跡のイシス神殿の天井にはほとんど完全な全天の星座が描写されています。
このころ、エジプトでは星座の知識はかなり高度なものとなった証拠でしょう。
このなかで、獅子座、やぎ座、双子座、牡牛座等はメソポタミアの星座とは同じですが、そのほかはエジプト独自の星座が描かれています。それらはメソポタミアの星座とはかなりことなります。

(5)フェニキア人

 さて、再びメソポタミアの星座の歴史に戻りますが、紀元前2000年頃から、今のシリアのあたり地中海の東部沿岸にはフェニキア人という、船に乗って貿易を行うのが得意なセム系の民族が活躍します。
この民族は、航海のために星を大切な目印にする必要から、メソポタミアの古代星座の知識をかなり持っていたのです。
彼らは、場合によっては、ジブラルタル海峡を通って大西洋にわたったり、ひょっとするとアメリカ大陸にもわたっていたのではないか、といわれていますが、航海の主な目的は、同じ時代から文明が起こったギリシアとの間の貿易だったのです。 
ですから、メソポタミアで発生・発展した星座の知識は、やがて、フェニキア人によって古代ギリシアにもたらされることになります。
http://www.palette.furukawa.miyagi.jp/space/astronomy/constellation/const_history.htm
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嘘つきは人殺しの始まり・・・
カイン(Cain、קַיִן)とは、『旧約聖書』創世記第4章のアダムとイブの子。アベルの兄である。

嫉妬から弟のアベルを殺し、その後に神(Y・H・V・H・)からアベルの居場所を問われたとき「知らない」と嘘をついた。

世界で初めて殺人を犯し、世界で初めて嘘をついた人物であるとされている。

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