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2014年12月24日19:49

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若い時はどの時代でも『質より量』。

どうなんかねぇ・・。

この83歳の方・・
いわゆる若者だった頃は1950年代。
この記事によれば、「我々は家族で食ったり食わせたりに熱中した」ってのが
いつ頃なのか定かじゃないけど、時代背景からしても20代で家庭を持っていた、
だから『熱中』するのが必然であるも、その当時掛けていた食の『質』が
どれほどだったのかが問題ではないかと。

高度経済成長時代の範疇だったと思うけど、今より総体的な質なんか
低かったはずで、一部の上流階級を除いて大概は質素な食卓というのが
一般的だったはず。

要は『質より量』、満腹感を得られることの方が食の幸福感という価値観、
それがまだ続いていたと思うんだけども。

あの当時の文化的背景や仕事に対する価値観なんかを考えると、
基本的に「生きる」ために食する、食べるために働くというのがあったわけで、
対して今は遊ぶ、ゲームする、ネットする、携帯いじる、カラオケする、
スポーツする、恋愛する・・・等など、生きるための要件が食だけじゃなくなった、
あらゆる要件を毎日潤沢に行うため食べている・・とさえ言える状況。

そうすれば自ずと食への投資はそれほど高まらないわけで。

というか、若い時期なんて今も昔も『質より量』なんじゃないのかねぇ。
バブルの頃働き出した自分でさえも、とにかく一回の食事がなるべく安くて
量の多いものを選択してたし、食費を切り詰めた分クルマ関係や趣味、
あとはとにかく飲み代の方にウエイト置いてたし(笑)。

晩飯もろくに食べず、仕事終わったら繁華街に直行。
空きっ腹にちょこっとつまみを食べるぐらいで夜中まで飲み歩き、
帰りしなにようやくラーメンすすっておしまい、みたいな。

そんなことを経て、体調の変化や味覚の変化が伴ってきて、
あれほどがっついてたのに、空腹であっても思ったほど食べられなくなって来る。
んでもって、お酒の飲み方や種類等も変わって、
『如何に定量、または少量を美味しくいただけるか』
という価値観に目覚めて来るのですよ。
そこで初めて食に対する自分なりのこだわり、質感への意識が付いて来るのであり。

なので、若いうちなんてエネルギー消費も大きいんだし、
ましてや充分な稼ぎも伴っていない時期なんだから、『質より量』で充分オッケー。
あくまで栄養過多にならないよう注意しとけば。

そんな時期から下手に『美食癖』なんてついてしまうと、
ある程度落ち着いた年代に入ると選択肢が狭まっちゃうし、
生活レベルを落とさなきゃならなくなった時、相当しんどくなるんだから。

1万円の松阪牛の価値はわかるけど、それなら3000円でそれなりの食材を
品数多く揃える価値観だって全然悪かぁない。
大事なのは、食材そのものよりも、どういう環境で、どういう体調で、
どういう人と楽しく食事出来るか・・ってことにウエイトを置く方が大事で、
心身共に幸福感を得るってことはそういうことなんじゃないかと思うのだけど。。




■「1万円の松阪牛より現金3000円」 現代の若者は幸福なのか不幸なのか?
(キャリコネ - 12月24日 17:40)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3199725
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