mixiユーザー(id:13658569)

2014年12月22日21:05

76 view

安全の本質

昨日一昨日辺りから札幌は酷い路面ですなぁ・・。

そこでこの事故。
起こるべきして起きた・・って印象。

正確な全容は不明も、ニュース映像で観る現場の状況からして、
それほど速度を出せる環境とも思えず、ましてや車両は軽バンということを考えても、
一般的な「無謀運転」と言うにはちょっと無理がある感じ。

結局、事故処理上「過失運転」という文言で締めくくられるわけだけど・・。
果たして本当に、それで片付けて良いものかどうか。

そもそも、このアイスバーンやミラーバーン現象の発端は、
環境や健康面を主体にした「スパイクタイヤ禁止」の条例以降に如実化した、
れっきとした行政の「失策」だった。

この現象を見抜けず見切り発車してしまったことについて、条例施行直後は
随分と問題視されていたわけで、その後緊急対策としてロードヒーティングの増設、
除雪体制の強化、融雪剤散布の増大等によって対応して来たものの、
大半の路面を改善するには厳しく、挙句の果てには自治体予算の事情で
次々と対策は縮小、結局は各ドライバーによる技術や危機意識等のスキルに
依存されているのが実状で、いわゆる“しわ寄せ”が各個人に至っているのであり。

つまりスタッドレス化により、スパイク時代よりも遥かに冬道の運転が困難になったわけで、
しかも危険域に突入するまでの猶予、即ち『幅が』極端に狭まり、
例え速度を落としても、例え10km/h、20km/hでも状況により
このようなことが起きる可能性が俄然高まった。

こんな過酷な現状を考えた時、論理的には先ず運転資格者に対する
何らかの技術基準を明確化、または厳格化を施すことが考えられるも、
運転行為の遂行に当たり、運転者の意識や技術力に傾倒し過ぎた
歴史背景の中で発展して来た以上、今になって厳格化しようがない・・
というところだろう。

「安全」の概念とは、少なくとも先ず最悪の状態(この場合死亡事故)を招かない、
作らせない、作らない、回避or連鎖の寸断・・という仕組みが構成されていること。

その為には、当該運転者のスキル向上や車両安全装置の充実もさることながら、
同時に道路環境の整備といった、間接的要素が組み合わさって
初めて理想的な状況が生まれるのであって、どちらか一方だけが進んでも
安全性は増さない。

「いやいや、早い話ドライバーが有能なら事故は起きないだろう」という論調があるが、
実のところこれには重大な落とし穴がある。
何故なら、『人間はミスをする』動物という特性、人間工学の根本があるからだ。

「慎重に、集中力を高め安全に・・」というのはもっともなこと。
しかし、刻々と変わる運転環境を前に、常に同じ割合の安全技術や
意識を保つことは事実上『無理』だ。
しかも上記のように、危険域までの幅が狭ければ狭いほど、
意識やスキルの維持は益々困難になる。

とすれば、その穴を埋める、もしくは「幅」を拡げる工夫が不可欠となる。
それがこの件の場合、こうした路面を作らせない、または大きく軽減させる
間接的な「支援対策」が重要であり、運転者のスキル向上と支援がバランスよく
セットになって稼働することで、初めて理想に近づく。

この構築が不十分なまま、ただ闇雲に「過失」として運転者に対し
一律に刑罰を施し終えているうちは、事故は減らないだろう。

安全性向上は、インシデントやその要素を潰していくことだ。
本気で悲しい事故を減らしたい、なくしたいと社会が思うならば、
いい加減運転者に対する、安全への過度なしわ寄せ、不適切な重圧負担を
減らす方向にシフトしないと、安全啓蒙自体が陳腐化してしまう・・

いや、現実には既にこのような状態に入って随分経っているということに
気づくべきだろうと思うし、ただでさえ危険度が増し、
しかもその期間が一年の半分近くも続く雪国の交通安全というのを考えると、
尚更この実態を噛み締めねばならないはずだろう。。



■歩道に車、児童4人けが=路面凍結、53歳逮捕―札幌
(時事通信社 - 12月22日 13:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3196627
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する