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2014年11月26日17:35

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11月21日、前入りして、京都女装旅行の下見

11月22日〜23日は京都での紅葉を楽しみながらの
十二単体験&舞妓体験の出来るイベントを開催しました。

私は横浜に住んでいますので、
京都への下見などはそうそう出来ませんので、
皆様が集まる前日に前入りをして、実際に、紅葉情報と
どこで撮影をしたらいいのか、見ることにしましたわーい(嬉しい顔)


まずは、袿袴(けいこ)と十二単体験のお店に行き、時間と人数などの確認を。
前日にも電話で確認していたけれど、どんなお店か、場所も確認したかったので行ってみました。

すると、申し込んでいた「かつら」が「ない」と言うのあせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)
そりゃ、マズいでしょげっそり
だって、楽しみにしているんだからあせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)

すぐに手配をしてもらい、当日には用意しくれるとの事。
行って良かったです手(チョキ)


すぐ近くに二条城があるので、そこでの撮影を予定していましたが
限られた時間内で撮影をしなくてはいけないので、行ってみることに。

二条城 世界遺産・元離宮二条城は、お勧めです手(チョキ)

徳川幕府における京都の拠点となった二条城は、
徳川家康が慶長8年(1603年)に京の宿館として建設した平城。
家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、
幕末の慶応3年(1867年)には15代将軍慶喜がここで大政奉還を行なわれました。
最後の将軍、徳川慶喜が勝海舟と差し向かいで会談し、大政奉還を行ったところなのです。

せっかくなので、私は、二の丸御殿を見学してきましたわーい(嬉しい顔)

庭園は素晴らしいですわーい(嬉しい顔)
その素晴らしい庭園が、今は紅葉で色濃くなっていて、美しかったですもみじもみじもみじ
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その後、ライトアップの場所を決めるため、祇園に移動。

HPの画像を見て良くても、行ってみたら意外とそうでもなかったりする場合があります。
ゲストの方たちは、日頃履きなれていない靴を履いての移動ですから
あまりにも広いばかりの庭園では疲れてしまうでしょう?

候補に挙げたのは、知恩院と清水寺と圓徳院。

八坂神社から入っていきました。
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八坂神社を抜けて、丸山公園、そして知恩院へ。
御影堂は今、修繕中でしたが、途中に茶室がありました。
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奥へ進むと、友禅苑へ続きます。 
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その後は、メインの清水寺へ走る人ダッシュ(走り出す様)ダッシュ(走り出す様)  圧巻ですね〜〜ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
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清水の舞台が燃えていますexclamation ×2
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奥の院を抜けて、下に降りると、門へ戻る道が続きます。
ここもライトアップされていて、幻想的ですぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
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夢のような世界を後にして、今度は圓徳院へ・・・
路がわからず、ちょっと焦りましたあせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)

清水寺での撮影に時間を費やしてしまったので、
圓徳院の閉門時間になりそうげっそり

21時26分、圓徳院到着exclamation ×2
滑り込みセーフです手(チョキ)
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圓徳院は、豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねが「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に
高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と
その前庭を山内に移築して移り住みました。
それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が、
北政所を慕って訪れたと伝えられています。
ねね58歳の時のことです。
これが今日の圓徳院の起こりです。ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、
ここは北政所の終焉の地となりました。

南庭の眺めもいいでしょexclamation & question  この先に進むとねねの小路があります。
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ここは奥にある北書院から眺める庭園です。
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22時近くになり、 みんないなくなったので、最後に一人静かに時間を過ごしてきました。
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下見とはいえ、ライトアップの美しさを満喫してきましたハート達(複数ハート)
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