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2014年11月05日19:48

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支離滅裂な感情

舞鶴事件で無罪の男 女性刺す
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3127312

「天網恢々粗にして漏らさず」

以前、高裁でこの事件による裁判が行われ、中氏に無罪判決が出た時に、自分が書いた日記を読み返してみた。

僕はこの事件に関しては、個人的に思いがある。

というのも、この裁判の一審が行われた年、僕の元に裁判員に選ばれたという通知の封書が届いたのだ。
同じ京都府内で起こった事件の裁判ということもあって、注目していたのだが、幸いその年、僕は裁判所に呼び出されることもなく、また、この事件の裁判も、裁判員制度施行直前の裁判であったため、裁判員裁判ではなかった。

でも、時期が少しズレていれば、この事件の一審は、確実に裁判員裁判の対象となっていたろうと思う。

この事件の背景をざっと書いてみる。

今回無罪判決が出た中氏には、実は殺人の前科がある。
しかも、過去を遡ると殺人だけでなく、強制わいせつ罪や傷害罪の前科もある。

事件のあった夜、複数の防犯カメラに、被害者の女子高生と並んで歩く、自転車を押す黒い服を着た男が映っていた。

警察は捜査線上に浮かんだ、事件現場近くに住む中氏を自転車の男と同一人物だと判断し、容疑者として逮捕した。
中氏は事件当日、黒い服を着ていた。

ところが中氏が着ていた黒い服は、事件があった直後に捨てられていた。
しかも中氏が乗っていた自転車も、何の必要性があってか、事件があった直後に色が塗り替えられ、凶器と見られたバールも、中氏が数年前から所有していたにも関わらず、事件直後にこれまたなくなっていた。

中氏は、逮捕後、一貫として犯行を否認し、真犯人は他に居ると言ってきた。

以前の日記で、僕はこの事件がもし、裁判員裁判で、その裁判員に自分が選ばれたら、おそらく中氏に対して有罪の判断を下せないと書いた。

確かに中氏はこの事件のあった現場界隈でみれば、かなりアヤシイ人物だ。
そして、事件直後の行動。
これは、事件の関係者だとすれば、証拠隠滅に見える行動だ。

だが、中氏を犯人だと断定する決め手が防犯カメラに映った黒い服の男だとすると、その黒い服や自転車を中氏のものだとするのは、証拠としては余りに乏しいのだ。
防犯カメラに映った自転車は、中氏の所有する自転車と同じものかわからないし、黒い服にしたって捨てられていて、確認のしようがない。

だいいち、殺害時の状況にしても、バールのようなもので殴られたことによる失血死というだけで、凶器が発見されたわけじゃない。
つまり、凶器がバールであったかどうかの決定的な証拠もないのだ。

中氏が犯行を一貫として否認している以上、物的証拠が重要になってくるのだが、その物的証拠がアヤシイというレベルでないに等しい。

警察や検察は、事件直後の中氏の行動が証拠隠滅で、その行動が中氏の犯行を物語っていると言いたいのだろうが、だからといって、防犯カメラに映った男が中氏と断定できなければ、その根拠も薄くなる。
そして、もし、防犯カメラに映った男が中氏と別人物だったとしたら、中氏の状況証拠は何一つなくなってしまう。

検察は、当時中氏に対して死刑の求刑をしていた。
死刑という、人の命を左右するような重い求刑の裁判で、アヤシイというだけで、決定的な証拠のない人物を僕は有罪にすることはできない。
できないが、ココロの中では、中氏のことを犯人だと思っているかも知れない。

そう考えれば、僕は、この裁判が裁判員裁判でなくて良かったと思うし、裁判員に選ばれなくて良かったと思う。

でも、もし僕がこの事件の被害者の家族だとしたら。
この女子高生の親だとしたら。

きっと、中氏の無罪判決には、納得できないことだろう。
そして、これだけのアヤシイ状況を握っていながら、何一つ決定的な物的証拠を掴むことのできなかった警察と検察の不手際を恨むことだろう。

ここからは、僕の勝手な感情で書くが、僕には、中氏が犯人に思えてならない。
もし、中氏が犯人でないとしたら、一体真犯人はどこに居るというのか。
被害者家族の悲痛な気持ちは、僕には計り知れない。

そして、中氏がもし犯人だったとしたら。
彼は、司法によって、野に放たれたわけだ。
彼には前科がある。
ということは、もし、中氏が犯人だったとしたら、彼はまた犯行を繰り返す可能性がある。

その被害者がもし、あなたの大切な恋人や家族、子供たちだったとしたら。
司法は、一体どんな責任を取ってくれるというのか。
それが同じ京都府内に住む、幼い子供を持つ親としては、不安でならない。

最後に勝手な思い込みを書いてしまったことをお詫びいたします。

(平成26年7月12日、mixiにて投稿)



この日記は、舞鶴の事件で中勝美の無罪が確定した時に僕が書いたものだ。

あの時、僕が感じた不安や心配がこういう形で現実となってしまったことが本当に残念でならない。

以前の日記でも触れたが、もし僕が被害に遭われた女性の家族だったとしたら。
一体、この怒りを何処に持っていけばいいのだ。

もちろん、刺した中勝美に対する怒りはある。
それは当たり前の話だ。

だが、それより、決定的な物的証拠が押さえられず、中勝美を無罪にしてしまった、警察や検察に、そして、アヤシイとわかっていながら中勝美を弁護し、無罪にしてしまった司法に対して、僕は激しい怒りを覚えるだろう。

もちろん、舞鶴の事件と今回の事件は別の事件だ。
中勝美が今回、このような事件を起こしたからといって、舞鶴の事件の犯人であると決まったわけではない。

きっと司法は、そう言って今回の中勝美の犯行を未然に防ぐことはできなかったとして、責任を取ろうとしないだろう。

これからは、こうした屁理屈は抜きにして、僕の個人的な感情を書かせてもらう。

この事件は、起こるべくして起こった事件だ。
舞鶴の事件で、中勝美を弁護した弁護士さん。
アンタは、こうなる可能性もあるとわかっていて、それでも中を弁護したんじゃないか。
物的証拠を中が隠滅したことも知っていて、それをいい事に物的証拠がないからと、中の犯行を無罪で通そうとしたんじゃないか。
アヤシイとわかっていて。

裁判官の皆さん。
アンタたちも、本当は中がアヤシイとわかっていましたよね。
アヤシイとわかっていても、物的証拠がないから、疑わしきは罰せずの理論で、無罪の判断をしたんじゃないですか。
ココロの中では、犯人かもしれないと思っていて、それでも、無罪の判断をしたんじゃないですか。
何故、物的証拠がないか。
それが隠滅されたものである可能性もわかっていて。

僕は、この事件に関しては、中勝美に激しい憤りを感じる。
同時に、彼を無罪にして、野に放してしまった司法にも激しい憤りを感じる。
特に弁護士に対して、彼の今回の犯行に加担したことになるんじゃないかくらいに思っている。

いつも思うが、凶悪な事件が起こるたび、その罪を犯した人間の量刑が弁護士によって値切られているような気がしてならない。
いや、今回の中勝美のように、誰もがアヤシイと思っている人物でも、隙あらば無罪放免になってしまう。
それを勝ち取るのが優秀な弁護士なのか。

今、僕が書いている文章が法律を知っている方からすれば、とんでもなく馬鹿で支離滅裂な文章なのは分かっている。

でも、どうしてもこうした事件が起こると納得できないのだ。

舞鶴の事件に関しては、中勝美の無罪は確定している。
だから、彼が今回起こした事件とは、別の話だし、分けて考えなければならない。
これはこれで、また裁判が行われ、彼の量刑が決まるだろう。
でも。
本当に、舞鶴の事件は、中勝美の無罪でいいのか?関係ないのか?

僕にはそう思えない。
中勝美は、やはり、舞鶴の事件の犯人じゃないのか。
そして、そうだとしたら、あの時の司法の判断のミスが、今回の事件に繋がっているんじゃないのか。
そして、そうだとしたら、今回の事件に関して、司法にも何らかの責任を問うべきではないのか。

僕はそう思う。
でないて、こうした司法の不手際で、何の罪もない一般市民が危険に晒されるということが繰り返されるんじゃないだろうか。
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