mixiユーザー(id:2039217)

2014年02月02日02:52

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射幸心と生存

前回の日記で確率と自然の話をしたら、コメントでパチンコの当たり確率の話がでました。

私の知識では、パチンコというのは射幸心を煽るように恣意的に勝ち負けを並べているので、たとえば当たり確率が1/250というのはあくまでそのリストの「当たり数/全数」で確率という意味ではないと思ったのです。が、それって例えば物語を作る時に不自然に見えてもご都合主義的展開にするのと同じようなものなのかな、とか思って。

世界にカミサマはいませんが、作られた物語において作者は神です。
「神はサイコロを振らない」といいますが、実際、登場人物の行動を決めるのにサイコロは振りません。

でもね、そもそも人間に射幸心なんてものがなぜ存在するのか。

それは連勝や連敗が続く自然に適応して一喜一憂するためのものじゃないのか。
勝率1/2だからといって負けた後に必ず勝つとは限らない理不尽な自然に対応して、人間の感覚からすると不自然な連勝や連敗が続く恣意的とも思えるリストでひたすらお金を飲み込ませ続ける、つまり生き続ける、射幸心とはそのための仕組みなのかな。とか。

まあそんな生存本能のようなものを利用しているパチンコというものもなんと業の深いものなのか、って感じで締めましょうかね。
オトシドコロが全く分からない話になっちゃったんで。
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