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2014年03月31日00:47

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それでも夜は開ける

泣き顔




今年のアカデミー作品賞を得、ルピタ・ニョンゴ(奴隷パッツィー)助演女優賞を得た

この映画を、今日小牧空港ミッドランドで観て来た。

雨の降る中車を走らせ、30分前に券売フロア到着してみると長蛇の列。

予想外の込み様だったが、アニメ映画の上映が多く家族連れが多いせいだった。

この映画も早朝10時5分から一日一回の上映の為、まずまずの入りだった。

時は南北戦争が始まる20年ほど前の話。

映画が始まると、バイオリンが弾けて、ツイードの背広を着こんで裕福そうな

黒人ソロモン・ノーサップ(キウェテル・イジョフォー)と妻と娘二人アンとマーガレットが、

ニューヨーク州サラトガで幸せに暮らす情景が目に入ってくる。

しばらくするとバイオリンを手にして歩いているソロモンが、二人組の男に声を掛けられ、

演奏パーティで稼がないかと持ちかけられる。その話に乗ってソロモンがパーティに

出かけて睡眠薬を飲まされた挙句誘拐されてしまう。奴隷商人に売り飛ばされた先の

監禁された暗い部屋で、アップで映し出されるのは、足に何重にも巻かれた足枷が

何とも痛々しい。

昨日まで普通の生活をしていた黒人ノーサッが突然奴隷にされてしまうという

事が横行していたとは、「ルーツ」のようにアフリカ奴隷船に乗せられてアメリカに来た

キンタ・クンテのような黒人以上に空恐ろしい話だ。

奴隷として買われた農園主人フォード(ベネディクトカンバーバッチ)は

ソロモンにプラットと名乗るように強制する。

ソロモンは、必死になって自分は奴隷の身分でないと訴えるが

自由黒人証明書が奪われていて聞き入れて貰えない。そんな絶望感の中でも、

ソロモンは頭がよくフォードのお気に入りであり時には食事を共にしようと声を

掛けられたりもする。が監視人の白人ジョンは、そんなソロモンが憎くてたまらず

木につるし上げ半殺しに会わせる。このままではソロモンがジョンに殺されてしまうと

心配したフォードは、ソロモンをエップス(マイケルファスベンダー)に売りに出す。

エップスは、奴隷を使って綿花プランテーションを営む農場主で、収穫の悪い奴隷を

ビシビシと鞭で打ちつける命令を下すかと思えば、パッツィー(ルピタニョンゴ)を、

慰み者にする始末。パッツィーには、ソロモンは何でも話せる相手だったが、

ある日ソロモンに殺してくれと懇願する。絶望の人生にピリオドを打ちたいと

涙ながら訴えるパッツィーに、ソロモンは応えるわけにはいかない。

パッツィーも、自分と同じように子供と引き裂かれた境遇と知っているのだから。

パッツィーは誰よりも綿花の収穫に優れエップスのお気に入りのはずだが、

ある日、隣の家に無断で出かけた事で怒りを買い、背中を鞭で激しくたたかれる。

それを視ていたエップス夫人(サラポールソン)の「殺してしまいなさよ」の声を

聴いたエップスは、ソロモンに叩くよう命令する。力を加減しながら叩くのを

見て取ったエップスは、のど元に拳銃を突きつける。

心の哀しみを押し殺しながら、苦しみにあえぐパッツィーに強く鞭を振るうソロモンの

心の痛みが痛烈に感じられて涙を禁じ得なかった。

辛うじて一命をとりとめたパッツィーだったが、傷だらけの背中に薬を塗る度に

焼けるような痛みで発する声に誰が涙をこらえる事が出来るだろうか。泣き顔

ソロモンは、ある日エップス夫人から買い物に町まで出かけるように言われる。

、林を抜けて行く途中で脱走を図り、一目散に走る。が、白人に奴隷が吊るされて

いる光景に出くわす。殺されるのかと思いきや、首にはエップスの所有を

示す名札が掛かっていたお蔭で命拾いをする。又信頼した監視人アームズビリーに

元々奴隷ではないと訴え、稼いだ金を渡して町の郵便局に手紙を届けて貰う

約束を取り付けた。がアームズビリーは裏切りエップスにばらしてしまった。

誰も救ってくれる者がいない檻の中の絶望に耐えながら、歳月は12年を数えた。

そんな中、監視人として働きに来たバス(ブラッド・ピット)は、奴隷反対主義を

信条としていた。ソロモンは同じように訴えると、自らの命の危険も感じるが、

手紙を届ける約束をしてくれた。そして、ある日農作業をしていると、j

ついにソロモンの引受人が弁護士と共に農場にやってくる。

ソロモンは解放され自宅へ帰った。そこには再婚した夫とともに、妻と

子供のアンとマーガレット、そして孫の姿があった。

涙の再会と、新しい夫も含めた5人が輪になって肩を抱き合うシーンが、

長かった苦難をお互い労わりあう様で涙が又ボロボロだった。泣き顔

奴隷制をいち早く廃止したイギリスで歌われたアメイジング・グレイスは、

アフリカマダガスカル島から奴隷船で送られた奴隷が歌った歌だと聞いている。

それから約60年後、リンカーンの奴隷制度廃止宣言で事実上廃止され、

400万人居た奴隷が解放されたと聞くが、

今尚,KKKのような黒人蔑視団体が存在していたりもするアメリカ。

それでも、黒人蔑視のニガーという言葉がニューヨーク州で禁止され、

メデアでも避けられ、何より大黒人のオバマ統領が誕生する世の中に

なったのだから、過去の戒めにと云う事だろうと思う。











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