黒門市場は大阪の台所と呼ばれている。
歴史を紐解くと、明治の末期まで堺筋に面した日本橋2丁目に、圓明寺という大きなお寺があった。
このことから、黒門市場は圓明寺市場と呼ばれていたのだが、 圓明寺の北東に向かって黒い山門があり、この黒い門の存在が後日、黒門市場と呼ばれるゆえんとなったそうだ。
市場は明治45年1月の難波の大火災で、圓明寺と黒い門とともに消失し、また先の大戦で昭和20年3月、市場界わいは焦土と化した。
戦後まもなく元の商人たちが集まり、市場の復興に尽力する。
以後、食い道楽、浪速っ子の胃袋をあずかり、卸売と小売の機能を兼ねそなえた市場として親しまれ、今日に至っている。
この日も黒門歳末大売出しにて「黒門どんぶりフェスタ」を開催しており大行列を作っていた。
時間があれば海鮮三種類選り取りのどんぶりフェスタで舌鼓したかったが残念だ。
そんな人の袖擦りあう昭和最盛期を彷彿するアーケード商店街の黒門市場も私にとって魅力的に映る商店街の一つである。
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