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2014年02月25日22:09

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訴えたのは、死亡11人のうち、3人の遺族のみ

 真当な判決である。因業遺族の言いがかり裁判が、変な方向にブレずに良かった。

 因業家族は、控訴するらしいが、高裁でも同様の判断が出る可能性が高い。その時は、矛先を「確実な津波予測を出さなかった気象庁が悪い」とでもいいだすのだろうか。
 天災をうけいれ、故人の菩提をともらったほうが、和らぎがえられるだろうに。いまや、遺族は生きながら餓鬼道に堕ちている。

 あと、報酬目当てに蠢いている悪徳弁護士に呪いあれ。

 因業遺族は、「妻の祐子さん(当時47歳)が犠牲になった高松康雄さん(57)は「職場の危機管理や防災意識の前進につながればという思いだったが、後退でしかない」と屁理屈を捏ねているようだが、あのような転載の場合、「結果論」で何か言えるとしても、『その場で、未来を予測した確実な判断」などできるわけがない。


*写真は、指定避難場所の高台・堀切山。
 ここでは、18m地点まで冠水。写真の建物(病院)の一階部分は津波に現れた。
避難してきた人々は、2階以上に待避し、難を逃れた。


---リンク元記事:
行員被災死亡 遺族の請求棄却
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2778332

 ◇「屋上への避難に合理性」

 東日本大震災の津波で七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の行員らが支店屋上に逃げて犠牲になったのは同行が適切な避難誘導など安全配慮義務を怠ったためとして、行員ら3人の遺族が同行に計約2億3000万円の賠償を求めた訴訟で、仙台地裁(斉木教朗<のりお>裁判長)は25日、「屋上への緊急避難には合理性があった」として請求を棄却した。遺族側は控訴した。震災犠牲者の遺族が避難を巡り、勤務先や学校などの責任を問う訴訟では2件目の判決で、遺族側が勝訴した1件目とは司法判断が分かれた。

 提訴していたのは、死亡した行員の田村健太さん(当時25歳)と丹野美智子さん(同54歳)、行方不明になったスタッフの高松祐子さん(同47歳)の遺族計6人。

 判決などによると、2011年3月11日午後2時46分の地震発生を受け、当時の支店長が従業員12人に2階建ての支店屋上(高さ約13メートル)に避難するよう指示。午後3時半ごろ、最大20メートルの津波に襲われて支店長を含む4人が死亡、8人が行方不明になった。

 海岸から約100メートルに位置した支店の約260メートル先には、女川町の指定避難場所の高台・堀切山があった。近隣の金融機関では従業員が堀切山に避難するなどして犠牲者はなかった。訴訟では、屋上を避難場所とした七十七銀行の防災マニュアルの是非のほか、屋上の高さを超える津波を予測できたかどうかなどが争点となった。

 斉木裁判長は、屋上を避難場所としたマニュアルについて「支店は構造上、津波避難ビルとしての適格性があり、安全配慮義務違反には当たらない」と認定。そのうえで「6メートルの津波の到達予想時刻とされた午後3時までに避難を完了する必要があった。その時点では最大震度6弱の揺れを体感していても、屋上を超える巨大津波を予測することは客観的に困難だった」と判断した。

 斉木裁判長は、私立日和(ひより)幼稚園(同県石巻市)の送迎バスが津波に巻き込まれ死亡した園児の遺族が起こした損害賠償請求訴訟では、原告勝訴の判決を言い渡した。園側は控訴している。【竹田直人】

 ◇七十七銀行のコメント

 弊行に安全配慮義務違反がなかったことが確認された。12人の行員・スタッフを失った悲しみに変わりはなく、今後、このような悲しい出来事が繰り返されることのないよう、防災への取り組みや行員一人一人の防災への意識をより一層高めていきた。
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☆遺族の高松康雄さん(57)は、はた迷惑な基地外

→不明の妻、必ず連れ帰る 女川の男性、潜水士の資格取り捜索
 東日本大震災の津波にのまれ、今も行方不明の妻を捜すため、宮城県女川町のバス運転手高松康雄さん(57)が潜水士の国家資格を取得した。潜水士は海中での捜索活動などに従事できる。プロのダイバーらに協力してもらいながら、高松さんは妻の姿を捜し求めて女川の海に潜る。
 試験は筆記のみで、1月末に受験した。7日に合格の知らせを受け、高松さんは「捜索の条件をクリアできた」とほっとした表情を見せた。震災から2年11カ月を迎えた11日は、宮城県石巻市の蛤浜で海に入った。同市のダイビングショップ「宮城ダイビングサービス・ハイブリッジ」代表の高橋正祥さん(34)が指導。重りを含め25キロの装備を身に着け、海中探索などの練習をした。
 高松さんの妻祐子さん=不明当時(47)=は行員ら12人が死亡・行方不明になった七十七銀行女川支店に派遣社員として勤めていた。支店長の指示で支店屋上に避難し、津波にのまれた。
 震災直後から祐子さんを捜し続け、休日は他の行員が発見された場所に通った。宮城海上保安部の潜水士らによる捜索活動を見守るうち、昨年夏ごろから「人任せではなく自分で海に潜って捜したい」と考えるようになった。
 女川町でダイビング教室を開いているハイブリッジの門をたたき、技術を学んだ。初めて海に潜った時は「怖かった。とても周囲を見る余裕などなかった」と振り返る。
 月1回のペースで海に入り、徐々に恐怖心は薄れてきた。資格を得たとはいえ単独で捜索するのは危険で、当面は高橋さんらのがれき撤去ボランティアなどに同行し、技術向上を目指す。
 今は仙台市で暮らす2人の子どもは、心配しながらも応援してくれているという。
 「津波にのまれる直前に妻から届いた最後のメールには『帰りたい』とあった」と高松さん。「何としても捜し出し、家に連れて帰ってあげたい」と固く決意している。


河北新報 2014年02月12日水曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2014/02/20140212t13014.htm
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 遺体が見つかる確立はゼロ。一人で活動するならともかく、自分のエゴで他の人も巻き込んでいる迷惑野郎。
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