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2014年01月05日14:17

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フリー・ランチはない

 経済学とかファイナンスの世界では、「フリー・ランチはない」というのが常識である。つまり何かの便益を得ようとすれば、誰かがその費用を負担することになる。通常は受益者が費用を負担するが、費用負担を誰かに押しつけて、便益だけをタダ食いできるとなれば、いわゆるい「モラル・ハザード」が働くようになる。

 もし営業マンの人事評価を、売上高目標の達否達成率だけで行なうというルールにしたら、営業マンたちは得意先の信用状態など関係なく、売りやすい相手にのみ営業を行なうようになるだろう。また利益率目標はないので、売上のためにはコスト割れの値引きも平気で行なうようになる。結果として、会社は貸し倒れによる償却や、粗利益率の悪化によって、業績の悪化に苦しむことになるが、売上目標を達成した営業マンは高い評価を受けて多額のボーナスを受け取ることになる。

 リーマンショック前の米国の投資銀行では、目先の業績推進のために、サブプライム・ローンを売りまくり、果てはサブプライム・ローンのCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)も売りまくった。不動産市況や景気が下振れした途端に破綻するスキームだと誰もがわかっていても、目の前にニンジンをぶら下げられたら営業マンとしては頑張らざるを得ないし、実際にそれで巨額のボーナスを受け取っていたのである。

 日本のバブル期の銀行・証券なども同様である。

 誰かがツケを払ってくれるとなれば、美味しいところだけをタダ食いしようと思うのが人間の性(さが)というものであり、一人だけでなく集団になると、群集心理が働いて、歯止めが利かなくなる。あとは行き着くところまで行くしかなくなってしまう。

 政治の世界で、マニフェストという言葉が一時期流行った。

 カッコいいことを言ったもん勝ち、実現できなくても責任は問われないという悪しき風習を一般大衆に知らしめたという意味で、民主党の罪は深い。だが他の政党も同じようにマニフェストを打ち出して、お互いにカッコいいことを無責任に言い合ったという点で、まあどこも似たようなものである。

 あれも一種のモラル・ハザードである。耳触りの良いマニフェストで一般大衆を騙して、うまく選挙に勝てれば儲けものだし、当選したあと実現できなくても詐欺罪で立件されるこもないのであれば、「言わなければ損」ということになる。

 政治というものは、突き詰めて考えれば、「国民から集めた税金をどう配分するか」を決めることである。ばら撒く側の政治家・役人は、自分たちに何らかの見返りがあるような配分方法を選択したいと考え、ばら撒かれる側は、自分たちに利益を誘導すべく政治家・役人に働きかけることになる。

 いずれの側も、税金という「他人の懐」をあてにして、便益のタダ食い、「フリー・ランチ」を得ようとしているという点で同じである。

 だが税金は国民が負担しているものだし、受益者も国民であるから、本来ならば、受益者も負担者も同じでなければならない。

 ところが、いまの日本で問題なのは、ひと言で「国民」と言っても、その中で便益を得ている人と、費用を負担している人とが同じでないこと、つまり同じ日本の中で、「フリー・ランチ」を得ている人がいて、結果として「モラル・ハザード」が大々的に放置されていることである。

 典型的には、「若年者が高齢者に搾取されている」という「世代間格差」の問題である。同様に「税金も払わない層に、真面目な勤労者が搾取されている」という「過剰な福祉」の問題もある。

 これらいずれも、自分で身銭を負担せずに便益だけ享受しようとしている点で構図は同じであり、物事の筋を通すという意味では、「受益者負担」を徹底するべきであろう。少なくとも、そのせいで国の財政が破綻しようとしているのを看過してまで、継続するべきではないのは歴然としている。

 だが、「言うは易し行なうは難し」である。

 「フリー・ランチ」であろうが、いままで便益をタダ食いしていた層は、自分たちの「既得権」がどれほど理不尽なものであろうと、それを死守するために徹底的に抵抗するだろう。

 高齢者の1票も1票だし、若年者の1票も1票である。しかも高齢者のほうが選挙での投票率は高い。

 一般的に、いまのわが国では、「既得権」を頑なに守りたい層ほど投票率が高い。すなわち「高齢者」「農村」「地方」である。

 また、こういうことを書くと、非難されるかも知れないが、税金もろくに払わない低所得者の1票も1票ならば、高額納税者の1票も1票である。

 株式会社であれば、持ち株割合によって発言権に差があるのに、民主主義国家という制度においては、納税額によって発言権に差はない。これも考えてみれば不思議なことである。負担の軽重に差があるのに、発言権が同じとなれば、できるだけ税金は払わずに、できるだけ多くの便益をタダ食いするのが一番利口だという考えを助長するだけである。

 「受益者負担」、つまり「フリー・ランチ」は認めないというルールと、「便益の配分に対するは発言権は負担割合にしたがう」というルールを、いまの社会で徹底することがもしできれば、随分と無駄のない公平な世の中になるだろうにと思う。

 まあ、実現可能性という点では、悲観的にならざるを得ないが。

 1票の格差の是正すら遅々として進まないのが、いまの日本の現実である。つまり、国にはいまの世の中の「フリー・ランチ」の横行、「既得権」の解消について、手を突っ込んで何とかしようという意思はないのである。 

 外圧でしか変われなかった日本という国は、やはりこのまま行き着くところまで行くのであろう。財政が破綻して、真面目に税金を払う人もいなくなって、優秀な人材は海外に流出して、日本全土が地方のシャッター商店街みたいになって初めて、何かしら改善しなくてはということになるのだろう。

 いまの状況を称して「第三の敗戦」と言われるが、本当の意味で焦土と化さなければ、誰も何もできないようである。それならば、焦土になるのを待つしかない。
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