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2013年11月28日06:08

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マチ★アソビvol.11(その5)

○16:00〜 幾原邦彦の世界
フォト


幾原邦彦監督×庵野秀明監督×星野リリィさんによるトークという
恐ろしく濃いイベント。

幾原さんは徳島県出身という事で、来てくれないかな、、、とは思っていましたが、
まさか、本当に来るとは思っていませんでした。(爆)

しかも、幾原さんと「セーラームーン」時代からラブラブな仲で有名な庵野監督と、
あの「輪るピングドラム」の星野リリィさんと一緒に。


こんな企画、よく実現できたな、と思います、、、。




まずは、ステージに司会のアニメ評論家の藤津亮太さんが登場。

この人も普通に凄いんですが、、、。



そして、いよいよ幾原邦彦監督、登場!!

登場した時、思わず、
「うおーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」と叫んでしまいました。

アニメ監督で、ステージに登場した時にこんなに絶叫してしまった方は初めてです。(笑)



幾原邦彦さん(以下・幾)
「幾原邦彦です。
徳島県出身です。
今日はよろしくお願いします。」


藤「幾原さんが何でできているか、世の中をどう見ているか、
という話になるんですが。」


幾「そんなこと気にしてるんですか?(笑)

(場内、拍手。)

地元の人だから優しいですね。」(笑)


藤「幾原さんはマチ★アソビには、、、」


幾「来たのは初めてです。
(vol.7で)『ピングドラム』のイベントはあったんですけど、
その時は製作中だったので。」


藤「どうですか、町の風景は。」


幾「なんか、いつもは人が歩いているイメージがないので、
人が歩いているのが新鮮でした。
これは、徳島の人なら分かると思うんですが。」



そして、幾原さんをよく知る人として、庵野秀明監督&星野リリィさん登場。



庵「アニメとか映画とかの監督とかプロデューサーをやってる庵野です。
最近は声の仕事もやらされましたけど、(笑)
副業なんで。
よろしくお願いします。」


星「漫画家をさせていただいている星野リリィです。
よろしくお願いします。」



やっぱりこのゲスト陣、濃ゆすぎる、、、!!




藤「お2人から見た幾原さんの印象は?」


庵「目立ちたがり。(笑)
普段からこういう格好。
舞台衣装じゃないんです。
最初の印象は『おしゃれ』だったんです。
アニメ関係者にこんなおしゃれな人がいるんだ、と。
後から、あ、これはおしゃれじゃなくて目立ちたがり屋なんだと分かって。」


星「王子様然とした、俺。
すごく言葉で優しい事を言ってくれて。
あと、私より女子力が高いです。」(笑)


幾「ありがとうございます。(笑)
あのね、意図的に目立とうとしていた時期はあったんです。
庵野さんから『超獣』って言われて。」


庵「世代的に『超獣(ウルトラマンA)』が分からないか。」


幾「意図的に目立たないといけない、と思ってて、
今はアニメ業界にもおしゃれな人が多いけど、
昔は、言ったら悪いけど、残念な人が多かったんですよ。
なので、まず、覚えてもらわないといけない。
あと、すごい傲慢なんだけど、
好きでアニメ業界に入ったのに、
アニメ業界を見下していて、
混ざってたまるか、と思っていた時期もありました。」





藤「幾原さんの作品を振り返って生きたいのですが、当然最初の作品はこれになります。」



『美少女戦士セーラームーン』


「当然」ですよねー!!




藤「懐かしい動画を観て、92年頃を思い出してくれたら。」



幾「生まれてない人とかいるんじゃないですか?

(会場から結構な数の方の手が上がる。)

結構いる!!」



正直、びっくりしました、、、。(汗)



セーラームーン(以下・SM)の変身シーンの映像上映。







今見ても綺麗だわ〜。
そりゃ、こんなの中学生の頃に観たら心持って行かれるわ、、、。

そして、映像にじっと見入ってる幾原・庵野両監督の表情に興奮ww



幾「SMはスタジオライブっていう会社がメインで入ってて、
そのスタッフが以前庵野さんと仕事をしていて、
間を取り持って、僕と庵野さんを会わせてくれたんです。」


藤「幾原さんから見た庵野さんの印象はどうだったんですか。」


幾「その時から、庵野秀明というのは、
今は『生きねば。』ですけど、(笑)
当時は『生きてるのかな。』と。
僕らの世代にとって庵野秀明って、特別な存在なんですよ。
名前は知ってて。
当時、『OUT』かな、DAICON FILMSの紹介記事があって、
そのオープニングフィルムをつくった人の中に大学生が混じってるというのを知って。
映像を観たのは業界に入ってからなんですが。
庵野さんは僕らの世代の中でトップランナーですよ。
なんだろうな。
自分をごまかしてない人だな、と思いました。
業界に入ると、我慢しないといけない時期があるんですよ。
庵野さんは我慢の天才なんですよ。
でも、最初から天才的評価を得てるんですよ。
だから、会えた時に、自分も偉くなれた気がしましたね。
ついに会えたな、みたいな。」


庵「SMはライブの松下(裕美)さんとか只野(和子)さんとかがメインでやってて、
次、こんなのやるんです、と設定を見せていただいて、
最初は『えー!?』だったんですが、
無印の時にシリーズディレクターを佐藤順一さんがやってたのがよかったですね。

幾原さんの回は凄いおもしろかった。
SMで有名になってるけど、幾ちゃんの真骨頂は『きん注(きんぎょ注意報!)』なんですよ。

幾ちゃんの回、東映らしくなくて。
作画が悪い回で、どうするかと思ったら、
他のシーンの枚数を減らして、1カットだけ無駄な動きをするんです。
亜美ちゃんが足をつねられて頭をくーってするシーンで枚数を使う。
そんなバカな事をする人はいないです。
で、『幾原さんって面白い人?』って聞いたら、
『面白い。』って聞いて、
『今度会わせてよー。』って言って、会ったらすごく気があってずっと話してました。」


幾「SMは、ウケるとは思ってたんですよ。
でも、それは、大きなお友達にウケるんであって、
ごめんね、ここに来るような人にウケるとは思ったけど、(笑)
子供にウケるとは思わなかった。
だから、これは2クールでつなぎだろう、っていうのが、
スタッフのムードでした。
でも、このタイトルは目立つと思ったので、
活躍したら目立つだろう、と。」


藤「やっぱ目立ちたかった。(笑)
幾原さんは、『R』の途中から佐藤順一さんに変わってシリーズディレクターになられましたが。」


幾「佐藤さんが『ユンカース・カム・ヒア』のほうに行ってて、
あまりスタッフルームにいなくて。
で、2年目になって設定が入れ替わる時に、
現場監督的な役割として僕が、という事になったと思います。

SMって、40本くらいなんですよ。
僕はコンテ演出8本やってるんです。
この頃が一番忙しかったんじゃないかと。
3日寝れない、4日寝れないとか、しょっちゅうだったから。

劇場版がまた、ものすごく大変でしたね。
庵野さん、少し手伝ってくれたよね。
あの頃、ライブのメンバーさんと会ってたし、
映画の『R』でも庵野さんと結構飲んでたりしてたんで、
その流れで次の『S』でガイナックスがグロスの1本で入る事になったんです。」


庵「いや、僕のほうから営業したんです。
1本入れてくれ、って。
黒田(和也)って言うのが凄く作画やりたくて、樋口(真嗣)くんが営業して。
吉成(曜)とかすごいいい演出やってますね。」


幾「庵野さん、ウラヌスとネプチューンの変身シーンの監修をしてくれてるんですよ。」


ウラヌス&ネプチューンの変身シーン上映。





思わず吹き出す幾原さんww


幾「これ、2本とも庵野さんだっけ。」


庵「2本とも僕です。
これ、尺が短くて、最初7秒とか言われて。(笑)
少し長くしてしまった。
もう少し長いほうがよかった。」


幾「唇が光るのはスポンサーからの要請で。」


庵「高校生なので、口紅で変身するのをやってくれ、って。」


星「はるかさん、髪をバンってやるのがかっこいいって思いました。」


庵「あれは、うなじを見せたかったの。
うなじと鎖骨だったんです。」



セーラー戦士5人の変身シーン上映。




庵「これ、幾原くん。」


幾「もう、これいいよ!!(笑)
凄い大変で、トラウマなんです。

大変だったんですよ。
キャラの個性を出すのが難しくて。
でも、今でもこういう仕事やるとは思わなかったです。(笑)

自分の作品をつくりたいという欲望は出たね。
僕はずっと雇われディレクターかな、と思ってたの。
いまだに元東映の人と話すとき、『外はね。』とか『中はね。』とか言ってて、
今でも『外』とか『中』とか言うんだ、って、
この間、細田(守)くんとかと喋って。」(笑)

庵野くんがやってるのはサラリーマン的なつくりとは全然違ったので、
こんなつくり方があるんだ、ってショックでしたね。
東映でのルーチンワークというか、
これに触れてはいけない、というタブーがいろいろあって、
僕はよくそのタブーに触れてたから、よくトラブルもあったけど、
東映出身らしさ、というのはあるんです。」


庵「ファクトリーなので、それはそれでいいところもあるんですけど、
幾原くんとか細田くんとかは、そこで個性を出してしまうので。
個性がある人は外に出るしかない。」


幾「個性を出そうと思ったらいられないですよ。
そういうところじゃないので。」




しかし、2人とも、「ビジュアル的に』95年ごろと全然変わらないな〜。










『少女革命ウテナ』


幾「最初は前がSMだったので、女の子ものじゃないのを考えたんですよ。
その時にたまたま、さいとう(ちほ)さんの絵を書店で見てしまって、
このキャラで何かやりたいと直感的に思ってしまって、宗旨替えしました。
オリジナルものは、当時は難しかったです。
アニメが深夜にやってる時代じゃなかったので、
夕方に放送される企画でないといけなくて。
運が良かったんですよ。
当時、制作委員会方式というのが2、3年前から始まってて、
それで企画が通りました。」




「少女革命ウテナ」OP映像上映。




映像を見ながら思わずニヤリとする幾原さん。



藤「ウテナっていう主人公が特徴的だったと思うんですが。」


幾「ものすごくキャラクターをどうするか、という葛藤があったんです。
どうしても『なにかみたいなもの』になっちゃうんですよ。
パロディになっちゃう。
まさかそんな事で悩むとは思わなくて。
キャラクターのパーソナリティからデザインから何度もやり直したんですけど、
自分の中でパロディに見えちゃって、
どうやったらパロディにならないんだろう、と。
自分が今までさんざんパロディみたいなのやってて、
いざオリジナルをやろうとすると、自分の中にオリジナルがないおいう
ショックな事が分かって。」


星「10代のとんがってる時期に衝撃的なものを見せられました。
10代の頃は私、すごくウテナが好きだったんですよ。
逆にアンシーが気持ち悪かった。(笑)
アンシーは女の子だから。
今見ると、アンシーのほうが安心します。」


幾「最初はウテナだけで考えてて。
どうしたらパロディにならないか考えて、さいとうさんの漫画を読みまくって、
『自分は王子様になりたい。』というのをみつけて、
これでこのキャラはパーソナリティを得られるだろう、と。
そこにたどり着く前が、本当に大変だった。

SMも最初は『戦隊もののパロディじゃん。』って思ったの。
東映だし。
でもね、武内(直子)さんのデザインを見た時に、
『本物だ。この人、本気だ。』って思ったんです。
武内さんはフィギュアスケートが好きで、
『なんちゃって』じゃなくて本気なんです。
本気でないとオリジナルはつくれない。
では、『俺の本気ってなんだ!?』と考えた時、
『寺山修司さんだ!!』と。(笑)

それで、寺山さんの音楽をお借りして、
それで、アングラ宝塚的みたいな他にない作品になったと思った。
みんな、絵を見て、『「ベルばら」なんだ。』と言って、
それが凄いしゃくで、
『絶対「ベルばら」にするか!!』と。
企画書は『ベルばら』みたいなもの、と言って出したんだけど。(笑)
見たことあるものじゃないとお金を出さないから。

億のお金がかかるプロジェクトじゃないですか。
当たらなければ大変な事になるわけで。
お金の話はよくされますよ。
『これ、いくらかかっているか分かってる?』って。
お金の事になるとクリエイティブな事を考えてる時間は少ないですよ。」


庵「お金に関しては人それぞれですね。
幾ちゃんはお金に関して敏感。」


幾「気がちっちゃいんだよ!!」


庵「逆に××××っていう人はお金の事を全く考えてない。(笑)
あんな人は珍しい。

僕は、作品をつくる以上は、最低限、元が取れるシステムにしようとは思いますね。」


幾「『ウテナ』は全て大変だったね。
でも、コントロールできる予算が東映の場合、大人の人達が管理をしている訳です。
その人達がダメと言った事は絶対ダメで、
それをオーバーしようものなら、『お前はもう使わない。』って言われる。

でも、『ウテナ』の時は『お金を全部コントロールして。』って言われるんです。
その時のお金のなくなり方というのが、札束で焼きいもをしているような感じで
どんどんなくなっていって、
これを今までは大人の人がやってくれてたんだ、って。
それを自分がやらないといけない、というプレッシャーはありましたね。」


藤「幾原さんにとって、お芝居はどういう役割をしめるんですか?」


幾「アニメって僕、子供の頃は漫画家がつくってるって思ってたんですよ。
演出の仕事っていうのも今一つ分からなかった。
アニメのディレクターって何をしてるのか、ってイメージしづらい仕事だったし。
その時に寺山さんに出会って。
寺山さんの舞台は特別な舞台なんですよ。
様式からすごい変えていく。
舞台という枠そのものを変えていく、という、
『寺山の見せ物をつくる』というのが寺山さんの舞台で。
それで、監督の仕事というのが自分に分かったんです。」


藤「『ウテナ』の時は意図的に世界観を構築するというのを
意識してたんですか?」


幾「『きん注』や『SM』の頃もそれはやってたけど、
それはおまけだと思ってた。
けど、『ウテナ』の場合はそれを逆転させて、
それを売りにしようと思いました。」















『輪るピングドラム』


星「最初、『私の漫画に幾原さんが興味を持ったからあってくれる?』って言われて、
『あ、幾原邦彦さんって名前は見たことあるけど誰だっけ。』って思って。(笑)

お会いした時に、『ウテナ』という作品を知っていたので、
すごい気難しくてアーティスティックな方なんだと思っていていました。
最初、待ち合わせに遅刻してきて、
『幾原さん、携帯持ってないんだ、ごめんね。』と言われて、
これは絶対気難しい人だ、って思いました。
でも、お会いしたらやわらかい方で、
すごい気も使ってくれたし。
でも、その企画はなくなってしまって、
再会した時に『ピングドラム』の原型みたいな話が出て。」


幾「一目ぼれでしたね。
『あ、こんな人がいるんだ、みつけた!!』って。
第一印象はビジュアルがある人だ、って思って。
しかも、
『ビジュアルがある人に誰も気づいていない。
一番乗りだ!!』って思った。(笑)

最初は星野さんの原作でやろうと思ってたけど、それがダメになって、
僕も気が変わってオリジナルがやりたくなりました。

その頃、『おとめ妖怪ざくろ』のアニメ化の話がでてきて、
僕が一番乗りだったはずなのに、先に『さくろ』がアニメ化されて。(笑)
でも、それがよかったですね。」


星「『キャラ原案』の仕事がよく分からなかったので
あまり口を挟んじゃいけないと思ってて。
途中で口を挟んでいいんだ、と分かって、それで変わりましたね。」


幾「最初はね、『全員動物なんです。』って言ってたんです。
そしたら、星野さん、ポカンってして。(笑)
1つだけ決まってたのが、ヒロインはペンギンです、って言って、
それで描いてもらったのがプリクリだったんです。
僕、絵に引っ張られるタイプで、全部ペンギンにしたいと思いました。
それで、ペンギンの話が出た時に、
『あ、これは僕がずっとやりたかった95年の話だったんだ。』って。
ペンギンって駅に乗るときのカードのキャラクターじゃないですか。
それでつながって。」



「輪るピングドラム」OP映像の上映。




幾「これも、オリジナルで企画通した時に、
『これ、パロディだ。どうしよう。』と思ってたけど、
星野さんがペンギンの絵を描いてくれた時に、
『きたー!! これだ!! これは95年のネタをやるしかない!!』
と思いました。
僕、『ウテナ』から『ピングドラム』までキャリアが開いちゃったんです。
それは、ずっと95年のネタをやりたいと言っても、企画が通らなかったんです。
『こんな誰も幸せになれない話をつくって、何がしたいの?』って言われて。
僕は、60年代安保以降の世代の最も重要な年は95年だと思ってて、
それを僕がやるんだ、と思ってて、
それを星野さんがやらせてくれた。

で、コンテを描いてる時に東北震災があって、
『自分がこだわってきた事ってそんな薄っぺらい事だったんだ。』という
激しい動揺があったんです。
クリエーターは誰もが一度手を止めたと思うんです。
そこで一度、僕も手を止めて、
最初はもっとエッジのきいた世代を総括する話にするつもりだったんだけど、
もっと家族の話にしたいという感じにシフトしていって。」


星「私は、キャラをほぼつくり終えていた頃だったし、
お話の根幹は私のところに来なかったので、
普通に1話を観て、『こんな話がつくりたかったのかな。』と思いました。」


幾「でも、本当に星野さんのキャラクターに救われた。
ペンギンのキャラクターがあったから、この作品、乗り越えられたと思う。」


星「圧倒されて、ポカーンみたいになって。
凄いエネルギーだったので、『おもしろいです。』とは言えたけど、
言葉も出ない、という感じで。」


幾「ようやくパロディかどうかはどうでもよくなった。
それより大事な事がある。
何か伝えたい事があればいいんだ、と思いました。

最後は凄い迷ったし、
いろんなパターンを考えました。
自分1人の考えじゃないですよ。
いろいろスタッフの意見も聞いてるし、
女性スタッフの意見が強烈でしたよ。
僕はこれをしたい、と思っている事を言うと、
『ダサい。』と言われて。(笑)
ダサいと言われると考えちゃって。

勉強にもなったね。
そんなふうにも考えられるんだ、って。

女の人の意見は聞きますよ。
たぶんSMをやったからかな。
SMをやった前と後で変わったのは、女性の意見を聞くようになった事かな。
(※「SM=セーラームーン」ですからね!!)


俺は、胸の大きい女の子を1人は描いてくれと言ったんです。
でも、1人も描いてくれなくて。
僕は最初、苹果ちゃんを大きいおっぱいにしてくれ、と言ったら、
『それは絶対やだ。』って言われて。

僕は『おっぱいマウスパッド』というのが欲しかったんですよ!!(笑)
『おっぱいマウスパッド』というものの存在を知ってから、
自分の作品でそれをつくりたくて。」


星「そんな理由で苹果ちゃんを巨乳にするのだけは、絶対いやだ!!
と反対したんですけど。」


幾「『かわいいの描いて。』と言ったら、不細工なペンギンを描いてきて、
『この人、天才だ!!』と思いました。

最近、アニメーターさんが洗練されてきて、
みんなおしゃれな絵を描くんですよ。
でも、星野さんの絵って、すごく頭に残るんですよ。

僕は、『これは、おしゃれなアニメじゃない。土臭いアニメなんだ。』
って説明するんです。
でも、自分にそう言い聞かせておかないと、他のアニメってすごいおしゃれな感じで、
僕もそれに行きたくなっちゃうんで。」









藤「幾原さんの主成分は何でできていると思います?」


庵「幾ちゃんは他の人とは違うものにこだわりが強いです。
『ピングドラム』の企画書を大月さんから見せてもらった時に、
『これどう?』って言われて、一言、『当たらない。』って言ったの。(笑)
で、大月さんも、『やっぱりねー。』と言って。
『でも、それでおもしろいものができるならいいじゃない。』と言って。

幾ちゃんが世間からずれているという事を認識したほうがいいよ。
世間は君とは違うんだ。」(笑)


藤「庵野さんがこれから幾原さんに望むものはなんですか。」


幾「いつまでも今のままの君でいてほしい。(笑)
何歳になっても。」



星「女性も素直にいいな、と思うものがつくれる。
でも、それは女性がつくっているものじゃなくて、
そういう配分がいい人なんだな、と思います。」


幾「つくづく考えたらね、ひがんでた時期もあったけど、運がよかったと思いますね。
寺山さんを知れたというのもそうだし、
僕、母子家庭だったんですよ。
母が無理して美大に入れてくれたというのもそうだし、
それがなかったらこの仕事はしなかったし、
庵野さんには出会えなかったし、
庵野さんに出会えなかったら『少女革命ウテナ』はつくらなかったと思うし、
その流れで星野さんにも出会えたし、
全てにおいて運がよかったと思います。
僕にあとどのくらいキャリアがあるか分からないけど、
夢があって、いつか庵野さんと一緒に何かしたいな、って思っています。」



幾原監督と言えば、作品やアニメ雑誌でのインタビューの印象から
すごいアーティスティックでとっつきにくい方なのかな〜という印象が強かったのですが、
初めて生で見た幾原さんはびっくりするくらい笑顔でおもしろおかしく喋られる方で、
いい意味で意外でした。

庵野監督とのイチャイチャも健在で安心しましたしww

そして、なんといっても、個性的すぎる過去の監督作品(特にSM!!)について
幾原さん本人から生でたっぷりといろいろなお話を聴くことができたのは、
本当にアニメファン冥利に尽きる喜びでした!!




※星野リリィさんの顔写真はネットにあまり公開されていない
という情報を他の方の感想ブログで見ましたので塗りつぶさせていただきました。
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(つづく)
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