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2013年06月25日12:48

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ネットの糾弾

ブログ「炎上」の県議、自殺か
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2479745

僕は、ブログもやっていないし、ツイッターもやっていない。
まあ、mixiの日記がブログと言うなら、唯一自分の考えなんかを発信する場が、このmixiの日記だと言えるかも知れない。

不特定多数と言っても限られた世界の中での日記であるmixiの日記ですら、僕は、日記を書く時に非常に気を遣う。
それは、誰かが目の前に居て、その人がどんな考えを持った、どんな人かわからない状態で、相手に対して自分の考えを話すような、そんな感覚だ。
もちろん、思ったことをそのまま書くのではなく、一度自分の中で、その表現が適切であるか吟味してから書くようにしている。
でないと、文章は自分の思ってもみない不特定多数の人に読まれ、形として残るからだ。

そうして書いた日記に対して、共感していただけるのは、大変有り難いことで嬉しいことではあるけれども、中には批判的な意見や誹謗とも受け取られる意見を戴くこともある。
特に、日記の内容とは関係ない、個人を誹謗中傷するような意見を目にして、何度日記を書くのをやめようと思ったか、わからない。

ほんの少し、そういった意見を戴くだけでも、そんな気持ちになる。
きっと僕は、こうしたブログを書くのは向いてないんだろう。
まだ、mixiは匿名性が高いからマシだが、もし、僕が公人だとしたら、きっとブログもツイッターも一切手を出さないだろう。
自分の書いたブログがいくら不適切だったとしても、いわゆる炎上するくらいの批判的な意見を戴いて、平然としていられるだけのメンタルは、僕にはない。

この記事については、この県議の自殺とブログの炎上を関連づける証拠は、まだわからない。
だが、この記事を読んで、僕は昔祖父から聞いた話を思い出した。

昔、僕の住んでいる町には、いわゆる被差別部落と呼ばれるような地域があった。
ある日、祖父の知人がその地域に住んでいる人と揉め事を起こし、知人はその人に対して、何か差別的なことを言ったらしい。

勿論、いくら揉め事はお互い様だとは言っても、差別的な発言をする必要はなかったし、そんな発言をした知人は悪い。
だが、問題はその後に起こった。

その被差別部落に住む人たちが、その話を聞いて、差別発言を許せないものとし、その知人を部落内にある公民館に呼び出し、皆で、その知人を糾弾したのだ。
その糾弾のあまりの激しさに、知人は恐れをなし、皆の前で土下座して許しを乞うた。
だが、皆、反省が足らないとか反省の色が見えないとし、糾弾をやめることはなかった。
糾弾はエスカレートし、とうとうその知人の家までよってたかって押し掛けるということもあったらしい。

その知人は、結局、精神的に参ってしまい、とうとう自殺された。

僕は、この一連の記事の流れを読んで、何故か祖父が昔祖父が話してくれた話と同質の構図を感じた。

確かにブログの内容は、批判されても仕方のないものだった。
だが、記者会見で謝罪までした県議が自殺にまで追い込まれた。
これが一連の騒ぎが原因だったとしても、僕は不思議でもなんでもないような気がする。

きっとこの県議も、ブログを書くのは向いてないんだろう。
そんなことをふと思った。
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