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2013年04月18日11:23

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望む人と望まない人

元裁判員にASD診断 遺体画像で
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2398561

僕の友人に警察官になった奴がいる。
そいつが警察官になったばかりの頃、交番勤務をしていたのだが、管轄内で殺人事件があった。
被害者はアパートの中で、刃物でメッタ刺しにされていたらしいが、その友人が現場にかけつけ、あまりの惨状に嘔吐し、数日間食事がノドに通らなかったらしい。


僕らは、日常を平穏に過ごしている限り、こうした現場を目にすることは、まずない。
あるとするなら、自分の家族が被害者になるか、自分自身が加害者になる時だ。
その確率は、自分が裁判員に選ばれるのと、はたしてどちらが高いのだろう。

何度か日記に書いたことがあるが、実は僕も、今から2年くらい前に、裁判員に選ばれました、という封書を最高裁判所からいただいたことがある。
ただ、この封書が届いたからといって、すぐに裁判員として法廷に出廷するわけではない。
封書が届いた次の年の1年間に、住んでいる地域で、裁判員裁判が行われた場合、その中からさらに篩にかけられ裁判所に呼び出される。
そして、そこで面接をしてさらに篩にかけられ、数人の人が裁判員として法廷に出廷することとなる。

基本的に裁判員として裁判所に呼び出されると、それを拒否するのは難しい。
職業的に裁判員として法廷に出ることで、社会に多大な影響が及ぶ場合、法律関係の仕事、妊婦、高齢者くらいしか、裁判所の呼び出しは、拒否できなかったように思う。
そして、面接で正式に裁判員として選任された場合、これを拒否するのは大変難しい。

この女性のように、事件現場の惨状に対するストレス耐性を理由に、本人が拒否するのは難しいんじゃないだろうか。
もし、それでも拒否するなら、その人に対して罰金10万円が課せられることとなる。

幸い僕が裁判員に選ばれた1年間、僕は裁判所に呼び出されることはなく、事なきを得た。
だが、もし、裁判員として裁判所に出廷することとなったら、と思うとこの記事は他人事ではない。

もちろん、現在の裁判員裁判で扱われる事案は、殺人などの場合によっては、死刑を判断する可能性のある凶悪犯罪が殆どだ。
そして、裁判の中ではこの記事にあるように、殺人現場の惨状を目にすることは当然ある。
しかも、その殺人を犯した犯人と凶器を目の前にして。
そして、自分が死刑という形で、目の前の被告人を絞首台に送る判断をしなければならない可能性があるのだ。
僕らが、新聞やニュースを見て犯人に対して死刑と言うのとは勝手がちがう。
その判断には、相手の命を左右する責任と言う重さがある。

それらは、もちろん裁判員になった以上当たり前の責任だが、はたして平穏に暮らして僕たちにその責任やストレスは、当然のごとく受け入れなければならなかったのだろうか。

はたして、この女性は望んで自ら裁判員になったのだろうか。

裁判員裁判は、僕らが裁判員を望む望まないに関わらず、国が決めたことだ。
拒否すれば罰金が課せられる以上、強制力のある決まりだ。
その決まりがもとで心に傷を負ったなら、それは国の責任であり、国が加害者だ。
しかも、その心のケアをするのに、この女性は福島から東京まで、自腹で治療を受けに行かなければならない。

何故、強制的に選ばれた裁判員で、僕たち国民がそこまで負担しなければならないのだろう。

冒頭の話に戻るが、その友人は結局警察官を辞めた。
あの惨状を目の当たりにして、自分が警察官に向いていないと思ったらしい。

裁判員だって、望む人もいれば望まない人もいる。
せめて、裁判員も望まない人には拒否をする権利があってもいいのではないか。

そして。
もし、僕の嫁が裁判員として法廷に出廷することとなったら。
僕は、10万円を国に払わされても、裁判員を拒否させるだろう。
僕の嫁には、あのような惨状を見せたくない。
そして、心に傷を負ったら、罰金なんかとは比べものにならないくらいの被害を被ることになる。

僕はどうあれ、僕の愛する家族のそんな姿は見たくない。
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