「猪木のビンタは体罰か」 セルジオ越後と為末大が問題提起
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「猪木のビンタは体罰か」
これは一連の体罰に対する問題提起と言えるのだろうか。
僕には、この発言が小学校の遠足で、担任の先生が、「おやつは200円まで」
と言ったことに対して、クラスの誰かが手を挙げて、「先生、バナナはおやつに入るんですか」
と質問しているのと、同じレベルに聞こえてならない。
まあ、これは人によっては捉え方は様々だろうが、もし本気に問題提起をしているつもりなら、僕には単なる屁理屈言いに見えてしまう。
そして大抵は、バナナ云々の質問をする人間は、クラスの中ではお調子者の人間で、その場の雰囲気に茶々を入れようとして、質問しているに過ぎない。
セルジオ越後の発言が、アントニオ猪木のビンタから、一連の体罰問題についての体罰の線引きにまで言及していること。
また、それについて為末やスポーツ法学会の事務長が応えているコメントから、これは、おそらく茶々を入れようとして、問題提起したわけではないのだろう。
大真面目にアントニオ猪木を引き合いに出して、体罰の線引きを考えようとしていたのだ。
だが、これは極めてナンセンスだ。
アントニオ猪木が一つのパフォーマンスとして、イベントの演出としてやっていることを、教育や指導での体罰と同等に扱っているのだから。
そしてこうした演出と現実問題との区別ができなくなる人がいるから、テレビや映画の演出は、神経質にならざるを得なくなる。
少し考えればわかるようなことでも、いちいち挙げ足を取ろうとするから、細かなところまで、決まりを作らなければならなくなる。
こんなこと言いだしたら、座禅の警策だって体罰かどうか議論しなくちゃならなくなってしまう。
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