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2013年03月13日17:02

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式典のマナー

■国歌斉唱時に起立しなかった教諭9人処分…大阪
(読売新聞 - 03月13日 09:17)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2355773

日記を書き始めるにあたって、まず前置きを。

この問題については、国歌起立条例という条例が大阪府にはある。
その条例に基づいて、府教育委員会が卒業式の国歌斉唱時に起立するよう、教諭に職務命令の形をとって指導したわけだ。

きっと起立しなかった教諭も、教育委員会の指導の主旨は、よくわかっていた筈で、その上での職務不履行であり、条例違反である。
起立しなかった教諭は、何らかの罰則があって然るべきだし、それを覚悟して、敢えて起立しなかったと僕は理解している。

これを前提に少し思うところを書きたい。

僕が以前の職場に勤務していた時、その職場の受付の女性の御父様が亡くなった。
その方は、患者様としても御世話になり、よく知っていた方だったので、院長を始め、僕たちスタッフ一同は、その御父様のお通夜に出席することになった。

ところで、僕の院長はクリスチャンだ。
僕の勤務している病院も4階が教会になっているほどで、熱心な信者だと言っていいだろう。

通夜の席で、僕は院長がどうされるだろうと思って見ていた。
もしかしたら、仏前で十字を切ったりしないだろうか、と思っていたのだ。
すると、院長は、きちんとした喪服に数珠を手に現れ、きちんと仏式での礼をされ、焼香もされ、読経の間も手を合わせておられた。

次の日、院長と前日のこの話をしていたら、院長は笑って言った。

「アホか。オレは確かにクリスチャンやけど、式典ではどういった格好が相応しく、どういった振る舞いが相応しいかくらいは、わかっとるちゅうねん。
自分の思想や信仰はどうあれ、その場で求められる礼儀に沿った行動をきちんとこなすのが、大人というもんやろ。」


まさにその通りで、普通一般的な常識があれば、自分がいくらクリスチャンであろうが、お通夜の席に出るからには、そのしきたりに従うのが当たり前なのだ。
そこで、自分はクリスチャンだからと、仏前で十字を切ったりしたら、それこそ思想や信仰以前に、普通は大人としての常識がない、ということになってしまうし、それこそ笑い者だ。
どうしても、思想や信仰で受け入れない部分があるのなら、最初から出席しなければ良い。
故人や遺族の方を思って出席するならば、その相手の式典の礼儀に倣うべきなのだ。

これは卒業式でも、同じことが言える。
本来は、条例がどうとか職務命令がどうとかという問題ではない。
卒業式という式典で、そのプログラムに国家斉唱があり、その際に起立を求められているのなら、それに従って起立するのが、大人としての礼儀であり、マナーなんじゃないだろうか。

そのマナーの部分に、その教諭の思想や主張を持ち込み、その主張を誇示する場にしようとする。
それが大人として、どれだけ行儀が悪いか。
そして、そんなマナーすら守れないから、こんな条例を作らざるを得なくなるし、教育委員会も職務命令を下さざるを得なくなる。

教育者として自分の主義や主張を生徒の前で見せることが、教育者としての在り方だと思われているのかも知れないが、その前に式典で、大人としての礼儀やマナーを見せることができないなら、それは大変恥ずかしいことだ。

卒業式は、卒業生やその親の晴れ舞台だ。
こんなことで、その式典が台無しなるのが、何よりも可哀想だと思ってしまう。
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