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2012年10月24日23:17

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いじめについて

いじめ加害者たち 罪悪感なく
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=2198922

僕は学校とは、勉強を学ぶ場であると同時に、集団生活を学ぶ場であると考えている。

これは、実社会が大人を中心とした社会であるのに対し、学校とは子供を中心とした社会だ。
先生とは、子供を中心とした社会の中にある大人で、子供たちを監督する立場にある。

社会にルールがあるのと同じように、学校には校則がある。
学校では、一見理不尽と思えるようなルールの中で、学生は生活する。
理不尽という点では、社会だって同じだ。

では、いじめはどうか。
社会にだっていじめはある。
人を社会的な地位や貧富で差別しいじめたり、社会的弱者をいじめる。
社会の中で問題を起こした人間や突飛な行動をした人間をよってたかってみんなで叩く。
これも、いじめだ。
家庭内では、親が子供を虐待し、子供が親をいじめる
姑が嫁をいじめ、嫁が姑をいじめる。

もしかしたら、大人の社会にいる僕もあなたも、誰かのいじめに加担しているかもしれない。
または、実社会やネットの中で、誰かにいじめられているかもしれない。
はたまた、誰かが誰かをいじめている光景を、実際にこの目で見ているかもしれない。

今日、どこかで電車に飛び込んだ人は、社会の中で、いじめに遭っていなかったろうか。
大人の社会は、あまりに広く多岐にわたっている。だから、いじめが表面化しにくいだけだ。

学校というのは、狭い狭い範囲での社会の縮図であり、子供たちの社会だ。
大人の社会にいじめがあるなら、子供たちの社会にいじめがないわけがない。

では、一体子供は、何を基準にして、いじめるターゲットを選んでいるのだろう。
それは、僕もよくわからない。
わからないが、推測するなら、それは目立つということだろう。
目立つというのは、良い意味ばかりに使われるわけではない。

人と違うということだ。
例えば、体格であったり、学力であったり、ユニークな性格であったり、家庭環境であったり、名前であったり、病気や障害であったり・・・。

その中には、僕らが個性と呼んでいる要素もあるかも知れない。

とにかく集団の中から目立つ人間をいじめるヤツは、見つけ、品定めする。
そして、いじめやすそうな人間を標的にするのだ。
集団の中では、いじめられている人間を助けようとする人間もまた、目立つ人間だ。
その人間も同じ目に遭う。

だから、他の人間は見て見ぬフリをし、目立たぬように振る舞う。

僕は、子供の社会のいじめとは、このようにして起こると思っている。

人は、個性個性というくせに、実は人と同じことに安心感を覚える。
それなのに、自分より不幸な人を見つけようとし、見つけることで、安心感や優越感、または快感に近い気持ちを抱く。

人はそんな風にして社会の中で暮らしている。大人の社会を棚に上げて、子供の社会のいじめだけを問題にするのはおかしい。

だから、いじめるヤツが罪悪感がなくても、ちっとも驚くことはない。
いじめることに罪悪感を感じる人間に、いじめはできない。
いじめる人間は、人をいじめるのが愉しいのだ。
愉しいから、いじめをやめられないのだ。

そんなことは、大人だって知っている。
知っているから、大人の社会にもいじめがある。
知っているくせに、子供のいじめについては、特別なもののように言う。

だが、いじめはいけないのだ。
大人の社会でも子供の社会でも、いじめはある。
だが、すべてのいじめは悪だ。
これを、はっきりと皆が行動として示さなければ、子供の社会だけ、いじめがなくなるなんてありえない。

まずは親が子供の規範となる。
その上で、子供を躾る。
いじめは絶対悪だと我が子に、人としての道徳を教えるしかない。

いじめる人間が悪く、いじめる人間がいなければ、いじめはなくなる。
いじめられる人間にも原因がある、という人もいる。
だが、それはいじめる人間の勝手な論理だ。
いじめる人間は、そうやって理由付けし、いじめるターゲットを選んでいるだけだ。

だが、今の親に、今の大人にそれができるのだろうか。
僕には、ムリに思える。

ならば、学校では、いじめはあるものとして考えるしかない。
先生は、学校内でいじめはあるものとして、生徒たちを監視し、監督するしかない。

だが、そんなことは、言われなくても本当は先生も知っているんじゃないだろうか。
先生とは、いわば生徒を見るプロだ。
プロが、校内でいじめがないなどと本気で思っているとは思えない。

いじめは校内に当たり前のようにある。
それは、先生は知っているはずだ。
知っていても、認めたくないだけだ。

だが、学校内のいじめは、いじめはあるものと先生が認めた上で監視し、いじめた人間を厳しく処罰するしかない。
そして、親は、自分の子供がいじめる側になった場合、我が子の躾の責任を取るべきだ。

少なくとも僕は、自分の息子たちの規範となり、息子たちがいじめる側の人間にならないよう躾たいと思っている。
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