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2012年05月07日23:47

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エ・アロール それがどうしたの

“教育評論家”尾木ママ、二股・塩谷は「悪い人ではない」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2008247&media_id=54

 どうも最近の世の中は、「コンプライアンス(法令遵守)」という言葉が、まるで水戸黄門の印籠みたいに神通力を持ってしまい、企業はコンプライアンス絡みの不祥事を何よりも怖れ、実際、その手の問題事象の処理をしくじって破綻してしまった会社は枚挙にいとまがない。

 個人も同様である。ちょっとしたルール違反など、ホントは誰でもちょっとくらいは覚えがある筈なのに、「それくらい、別に構わないでしょう」と開き直るのが憚られるような窮屈な世の中に、(気がついたら)なってしまっていた。たとえば、自動車が信号無視をするのはマズイだろうが、歩行者や自転車が赤信号を無視して横断歩道を渡るくらいのことは別に大した話ではない。むしろクルマも来ないような閑散たる道路でクソ真面目に信号待ちをしている通行人を見ると、きっとこの人は会社でも家庭でも融通が利かないのだろうと思ってしまう。また僕が若い頃は、大学に入れば未成年であっても飲酒も喫煙もお咎めなしであったが、最近の大学生はそういう訳にはいかないらしい。

 誤解してもらっては困るが、法律を含めてルールを守ることは大切なことだが、あまりにルールばかりを信奉しすぎる世の中というのも息苦しいし、他人の目ばかり気にしながら過ごさねばならないのも面倒臭い。そういう意味で、最近の世の中は、コンプライアンス・ヒステリー状態とでも言いたくなるくらいで、やや行き過ぎ感を覚えてしまう。

 芸能人などは、昔で言えば、「河原乞食」であり、まともな人種とは言えない。堅気の真面目な人間は芸能人になどならないものであり、したがって芸能人がヤクザとつき合おうが、酒を飲んで大暴れしようが、女遊びをしようが、少し以前ならば、いちいち誰も驚きはしなかったであろう。娑婆の規格に収まらないから、芸能人のような職業が務まるのだ。

 僕は塩谷某という俳優のことは何も知らないが、二股をかけていただけで随分な叩かれようである。不倫騒動を起こした芸能人もたいていはボロクソにバッシングを受けることになる。最近は芸能人もちゃんと世間一般のルールや秩序を守ることが求められているようだ。

 でも世間一般とか言うが、ルールや規範などはその時々、あるいは国や地域によって随分と異なるものであり、所詮は単なる決めごと、それも相対的で限定的な決めごとに過ぎない。

 不倫は悪だというのも、二股はケシカランというのも、いまの日本でたまたま、そういう意見の人が大勢を占め、そういう「空気」が支配しているというだけの話であり、他の時代、他の国に於ては、目くじらを立てるような話ではないかも知れない。

 昔、フランスのミッテラン元大統領が、女性問題について質問した記者に対し、応えた言葉「Et alors?(それがどうしたの?)」であったというのは有名な話である。彼の国は男女関係に対する考え方は、我が国よりも相当に先進的なようで、今回新たに大統領に選ばれた人物のパートナーも正式な婚姻関係にない「事実婚」状態だし、以前のパートナー(前回の大統領選で社会党候補だったロワイヤル女史)との間には4人の非婚外子がいて、しかもロワイヤル女史との関係がまだ続いている頃から今のパートナーとは二股関係だったらしい。

 日本でも少し前ならば、政治家や実業家が本妻以外に二号、三号を持つのは、ごく当り前なことで、田中角栄が真紀子女史の異母兄弟を外にもうけていたのは有名な話だし、愛弟子の小沢一郎も週刊誌情報によれば、この点に関しても師匠の忠実な弟子であったようだ。

 小沢一郎としては、たかが隠し子くらいで叩かれるのは不本意きわまりないであろう。本妻以外に女を囲うのも、非嫡出子をもうけるのも、ぜんぶ自分の甲斐性でやっていることであり、師匠の角栄だってやっていたことだからである。マスコミは鬼の首でも取ったように騒ぐが、別にマスコミも含めて誰にも迷惑はかけていない。迷惑をかけられたとすれば、小沢一郎の本妻であるが、彼女が納得する限りに於ては、「それがどうしたの」くらいな話である。

 昔から「下半身には人格はない」と言い、物欲、性欲、睡眠欲は抑えることができないとも言われる。食いしん坊な人、飲兵衛な人がいるのと同様に、漁色家というのも存在する。「英雄色を好む」とも言われる。

 したがって、そもそも他人に迷惑をかけない範囲で何をやろうが、他人から非難される筋合いはない。法律を含めたさまざまなルールも円滑な社会生活を成り立たせるために存在するものであり、過剰に他人を詮索したり監視したりするためのものではない筈だ。

 どうも最近の日本は、景気が悪くて閉塞感が漂うせいか、国も企業も個人も発想が万事「内向き」傾向にあり、他人の些細な非を咎めたり、他人のアラを探すために他人の言動を監視するようなことばかりに血道をあげているような気がしてならない。

 お互い欠点が多く、煩悩の固まりのような人間同士なのだから、お互いにあまり煩いことは言わない方が生きやすい世の中になると思うのだが如何なものだろうか。
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