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2010年06月19日20:01

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何故「分けるのか?」と言うよりは

声優・浪川大輔がメガホンをとった実写映画『Wonderful World』に込めた熱い想い
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1247847&media_id=53


それぞれのベクトルに「特化」しているから「分かれている」ってのが正解だろうと。

例えば「舞台俳優」と「TVドラマ俳優」の「間」や「表現」は違う。
それは「カメラフレーム」というフィルターの有無が大きいのだ。

声優という職業に求められるベクトルは「舞台俳優」のそれに近い感覚がある。
一種デフォルメ化された表現方法とでも言うか。

映画と言うものはTVほどではないにしても当然「フレーム」が存在している。
また本来的に言えば映画のフレームとTVのフレームはイコールではない。
(TV作品のフレームしか識らない製作者によって、この境界は崩壊しているが)

「映画」が理解できているのであれば「映画」を作る事は簡単だ。
そもそもそれはマスターベーションでしかないのだから。
そのマスターベーションに対して観客が対価を支払いたいと思えば「作品」になるだけの話。


それとどうにも記事中の弁で勘違いのように思えるのだが
「芸能人が」云々の箇所。

それは一括して論じてはならんだろう?と思うのだ。

きちんと演技もできる「芸能人が」と
話題性のみでキャスティングされた「芸能人が」と
漫才やコントなど「しゃべり」芸で食ってる「芸能人が」と

少なくとも3つには大別できる訳で。

それは当然「声優」にも当て嵌まるのだという事実なのだけどもね?
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