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2008年12月17日01:42

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クリスマス・キャロル

最近、大学の構内に献血車が止まっていたので献血したら、
「うわー太い血管ね。事故ったら出血多量ですぐ死ぬわね(笑)」げっそり
と言われました。

看護婦さん、せっかく献血してるのに、それはあんまりじゃん(泣)



それはともかく、エホバの証人というキリスト教の一派の人たちは、輸血をされるよりはそれを拒んで死を選ぶそうです。

正直、何考えてるのか全く理解できん。


調べてみると、どうやら輸血禁止の教義の根拠となっているのは、

1 ノアの箱舟のところで洪水が去った後に神が言った
「肉は命である血を含んだまま食べてはならない(創世記9章4節)」という言葉

2 神がモーセに告げた
「食用となる動物や鳥を捕獲したなら、血は注ぎ出して土で覆う。すべての生き物の命はその血であり、それは生きた体の内にあるからである(レビ記17章13節)」という律法

3 イエスがいなくなった後に使徒会議でなされた
「聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像にささげられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです(使徒行伝15章28節)」という決議

の3つのようです。

つまり、これらの旧約・新約聖書の文言から
「血を口に入れてはいけないと書いてあるのだから、腕から血管に輸血することを神が許すはずがない」という解釈論を採用しているのです。


ついでに何で剣道やったらいけないのか調べたところ、

バビロン捕囚後の預言者イザヤの
「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない(イザヤ書2章4節)」

という預言が聖書上の根拠だと思います。


人が信念に基づいて生命を賭してでも守るべき価値を認め、その信念に従って行動することは、キリスト直伝です。

もっとも、現代のクリスマスも、「守るべき信念」が「守るべき人(たち)」に変わっただけで、その精神は何も変わっていないのでしょう
夜



国立の大学通りを見渡せるスタバから、光の巨大なクリスマスツリーや綺麗なイルミネーションを眺めていると
六法に目を落として細かい言葉を云々考えてる律法学者よりも
目の前を楽しそうに横切っていく家族やカップルの方が神から祝福されるんだろうな、と笑ってしまいますね。
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