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2006年10月10日06:47

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里山の秋、まつりの跡

この夏小生がずっと騒いでいた、「大地の芸術祭〜越後妻有アートトリエンナーレ〜」ですが。

レポその1 出発、いきなりお腹いっぱい
レポその2 うぶすなの家 陶芸の家
レポその3 光と、花と、水と、トマト。
レポその4 記憶。思い出。残るもの。
レポその5 脱皮する日芸生
レポその6 芸術祭の最後に最後の教室

……こう、改めて見返してみると、騒ぎすぎというか書きすぎというか……この他にも、大地の芸術祭関連だけで4つくらい日記書いてるし……。


閑話休題。


そのmixiのコミュニティに、とってもステキな写真があがっていました。


祭りのあと


会期終了後、幾つかの恒久設置作品を除いて、里山に点在していた芸術作品は撤去されていきます。でもここでは、その作品を使って、地元の人が収穫した稲を干してるんですよ!


これって、芸術と自然と人間の生活とが融合した、ひとつの形なんじゃないでしょうか。


小生、芸術学部なんてところに通ってましたので、小難しく芸術を語るのが好きなんですけど、芸術って高尚なものとかじゃなくて、人の生活に根付いてないと意味がないと思ってるんですよねー。


例えば陶芸が一番分かりやすいですが、「用の美」という単語。飾るのではなく、使ってこそ輝くのが、本当の陶芸です。絵画や小説なら、誰もが心に持っているイメージを具体化する。建築や造形なら、ダイレクトに人の生活に入り込む。


もちろん、そうでない側面もあるとは思います。でも、芸術家たちが、自分たちのやっていることは特別だ、オマエら(見ている人)付いてこられるか?という素振りを見せるのは、なんか、釈然としないんですよねー。


まぁそんなワケで。


一昨日新潟物産展で食べた「小嶋屋総本店」もそうですが、大地の芸術の会場のひとつである十日町市では、10月いっぱい「へぎそばまつり」(十日町観光協会)というのをやっているそうです。


恐らくもう、稲の収穫はほとんど終わって黄金色の里山は見られないかもしれませんが、故に、新米はあるわ新蕎麦はあるわ、食に充実していることは間違いないでしょう。じゅるり。


大地の芸術祭というまつりの跡、そこに地元の人々の生活との結びつきを見いだしながら参加するのも、また一興かもしれません。





【一年前の日記】
●相撲・阪神 スポーツ攻め
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=44353820&owner_id=65677
化け猫ネタ。肉襦袢はねぇよなぁ、肉襦袢は。。。
【二年前の日記】
●心霊風
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=2309391&owner_id=65677
久しぶりに見たけど、やっぱりこの写真、ちょっと怖いかもガクブル
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