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2024年03月03日23:27

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サラリーマン安倍清明と、忯子の死を悲しみ過ぎた花山天皇

『光る君へ』兼家パパが怖すぎる「全部作戦」 死んだふり作戦→花山天皇が出家「マジで恐ろしい」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=7772667
見てた、事実に道兼仮病、花山天皇騙し出家の発案者に安倍清明は斬新で面白い

映画で超人的で格好の良いCGたっぷりの清明も良いけど、こういう卑劣な清明もなんか人間社会的であり得そうで面白い、前に麒麟がくるで朝倉義景役だったユースケ・サンタマリアだから余計に似合っていた

花山天皇の忯子への思い入れも凄いけど、あの時代は怨霊信仰が生きていて道兼の清明からの策謀、今ならお笑いでしかないけど当時は真剣感が凄い

上巳の節句、今の雛祭りの原型も人の穢れを移した人形を水に流して一年の安寧を祈っていたが、ユースケ・サンタマリアみたいなのが真剣な顏では考えたら笑える

今回、出てきた鳥辺野は東山の清水寺〜大谷本廟付近になる。東山の六道の辻が鳥辺野の入口とされ、清水寺の南の阿弥陀ヶ峰の山麓付近が中心で、今熊野神社や今熊野観音寺にかけての広い地域だったらしい。清水寺周辺も鳥辺野の一部だったことから、清水の舞台からは死体が投げ落とされていた。清水の舞台から飛び降りるとはこういう意味だった。

さて本題だが

花山天皇の乳母子で信頼が厚かった藤原惟成と兼家の兄・伊尹の五男・藤原義懐が外叔父が花山天皇期には実権を握る

義懐と惟成は革新的な政策を打ち出すが、関白・藤原頼忠や右大臣・藤原兼家との確執につながったが、寵愛していた女御の藤原忯子(藤原為光の娘)を亡くした花山天皇は、供養のために出家を考えるようになっていた。

次女・詮子が生んだ懐仁親王を皇位につけたい藤原兼家は蔵人として仕えていた三男・道兼に、花山天皇が本当に出家する気になるように仕向けさせた。

花山天皇は道長と和歌の贈答をしたり 、同じ牛車で花見に出かけたりするなど 風流な生活を送っていたが見事に兼家に足もとを救われていく

でも16歳で即位して2年足らずで法皇となった花山天皇。29歳となった法皇は、なんと亡くなった忯子の妹である「藤原為光の四の君」を寵愛し、その屋敷に通っていた。藤原為光の娘たちはよほど可愛らしかったのか、藤原道隆(みちたか・道長の長兄)の息子・伊周も同時期に「藤原為光の三の君」のもとへ足繁く通ってもいて伊周は弟と一緒に法皇を待ち伏せし、矢を放ち伊周は弟と共に左遷され、藤原道長の無双状態が出来上がっていく

花山天皇は絵画・建築・和歌など多岐にわたる芸術的才能に恵まれ、ユニークな発想に基づく創造はたびたび人々の意表を突き和歌においては在位中に内裏で歌合を開催し、『拾遺和歌集』を親撰し、『拾遺抄』を増補したともいわれ本当に奇異だったのか藤原家に書き替えられたかはわからないが

藤原忯子(藤原為光の娘)を亡くし悲しみ過ぎたのは事実なのだろう
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