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2023年09月25日09:38

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革マルと中核

旧左翼・日本共産党に対する「新左翼」諸派の一つに過ぎなかった革共同(中核派&革マル派)が、いつの間にか極左!過激派!へと出世していたのには、特製SBカレーを食って飛び上がるインド人のようにビックリだったので確認してみた。

- 革共同が革マルと中核に分れた原因は?

革命的共産主義者同盟(革共同)が革命的マルクス主義派(革マル派)と中核派に分裂した原因は、1963年2月に「党建設」と「労働運動」の方針をめぐって「黒田派」が分裂し、革マル派を結成したことです⁸。また、「本多派」は革共同全国委では多数派であったが、マルクス主義学生同盟では少数派であったため、「マル学同中核派」を組織したことから、「中核派」と呼称されるようになりました⁸²。

- 革マルまたは中核が関わった大規模テロはあったか?

大規模なテロ事件としては、中核派書記長・本多延嘉殺人事件(1975年3月14日発生)や革労協書記長・笠原正義殺人事件(1977年2月11日発生)などがあります⁶。また、革マル派は1960年代の街頭闘争や全共闘運動などから距離を置き、成田空港建設反対闘争からも排除され、他の新左翼系過激派集団の多くと敵対関係にあった⁴。それは革マル派が東大紛争で、警視庁機動隊が安田講堂に突入する前日、「兵力温存」を理由に戦線を離脱したため、その後残って機動隊と対決していた他の新左翼諸派から「第二民青」「日和見主義」などの批判を受けることになったためである⁴。そして1970年代以降は、中核派等との内ゲバ(過激派同士で対立するグループのメンバーを襲撃して殺傷する行為)事件を繰り返し、双方に多数の死傷者を出してきました⁴⁵。

- 革マルまたは中核は不特定多数の市民を巻き込む大規模テロを行ったか? 例えば反日武装戦線各グループによる爆弾テロに類するものを。

革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)と革命的マルクス主義派(革マル派)は、日本の新左翼運動の一部であり、その活動は一部で武力闘争や内ゲバ(過激派同士で対立するグループのメンバーを襲撃して殺傷する行為)に及んでいます⁴²。しかし、これらの団体が不特定多数の市民を巻き込む大規模なテロ行為を行ったという記録は見つかりませんでした。

それに対して、反日武装戦線は1970年代に連続企業爆破事件を引き起こし、不特定多数の市民を巻き込むテロ行為を行いました。しかし、反日武装戦線と革マル派や中核派との直接的な関連性は確認されていません。

なお、革マル派は2001年のアメリカで発生した9・11同時多発テロについて「歴史的行為」と称揚していました⁵。これは多くの人々から批判され、テロ行為を容認または推奨するものと見なされました⁵。しかし、これは言論によるものであり、革マル派自身がテロ行為を実行したわけではありません。

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ふむ。
昨今の「反代々木系」は、近親憎悪的な内輪の潰し合いしかやってなくとも、極左!過激派!と誉めてもらえるのか。自分達こそ「正しいサヨク」を名乗りたい小市民層から。
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