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2023年09月16日17:44

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【映画日記】『こんにちは、母さん』&想い出話、の巻

 9月10日、日曜日、昼過ぎ。

 ブックオフで取り寄せていただいた書籍を購入した後、TOHOシネマズなんばで新作映画チラシを収集。収穫はほとんど無し。

 その後、なんばパークスシネマに足を運び、コチラでも新作映画チラシを収集。

 続けて、『こんにちは、母さん』を観ようとした。既に開場している。ギリギリの劇場到着であったのだ。

 ムビチケを持っているので、それで観るわけだが、発券機がQRコードを読み取ってくれない。これまで何度もムビチケを使って発券しているし、現金支払いでの発券機利用なんていうのは何百回・何千回と行って来た。こんなのは初めてだ。なので、「すみませーん! 教えて下さーい!」としてスタッフさんを呼んだのだけれど……

 作品も上映回も確認せず、プラっと来て、画面だけ見て、タッチパネルをポンと押して、「あとは自分でやって」という感じで、その場を離れて行かれた。で、操作を続けたのだけれど、なぜかしら最初の画面に戻ってしまった。再度、お呼び建てして、「すみません。画面、戻っちゃったんですけど」と言うと、「なら、最初からやり直してください」と。そして、またその場を離れる。これを二・三度繰り返したのだが、時間が無いのだよ!&横に立って一緒に最初から発券完了まで操作方法を教えるべきではないのか? 「もう同じ事を繰り返したくない!」と思ったので、途中で、「すみませーん。ここで<確認>を押せば良いんですか?」と尋ねたら、こちらを振り向きもせずに、背中越しに「はい」と(←コレが一番癇に障った)

 なんやねん、それ……(‐‐;)

 どの画面に進んでいて、どういった状況で、どの作品で、上映開始時刻がいつで、を確認せずに、コレは無いだろう。酷い。操作ミスかも知れないし、ムビチケに問題があるのかも知れないし、発券機に不具合が生じているのかも知れないじゃあないか!!

 ヒジョーにカチンと来たので「オイっ! ちょお待ったれや! コッチ来い。なんじゃその態度は!!」と言おうかと思ったが、堪えた。

 しかし、ようやっと、なんとか発券は出来たが、以降、上映中も嫌な気分を引き摺ったままで、映画としっかりと相対する事が出来なかった。嗚呼……

 といった中での……


●『こんにちは、母さん』

【会社では人事部長として悩みつつ働き、家では別居中の妻や大学生の娘・舞(永野芽郁)との関係に頭を悩ませる神崎昭夫(大泉洋)は、ある日、久しぶりに下町の実家を訪れる。その時、昭夫は、夫を亡くし、一人で暮らしている母・福江(吉永小百合)の様子がいつもと違うことに困惑する。華やかな服装で、お洒落もして、イキイキとしている福江は、近所の人たちとホームレスを支援するボランティア活動に精を出しており、また、どうも近所の教会の牧師(寺尾聰)に好意を寄せているようだ。その事に戸惑いを感じる昭夫だったが……】というスジ。(←寺尾聰は「牧師」という設定なのでプロテスタント教会という事になる。カトリック教会ではない。カトリックなら「神父」だ。これを混同している記事やHPがチラホラと散見される)
 
 原作は永井愛による同名戯曲。

 監督は山田洋次。脚本は山田洋次と朝原雄三の共同。主演の吉永小百合と大泉洋は初共演。舞台版でもテレビドラマ版でも母親役は加藤治子が演じていたと聞く。

 他の出演者に、宮藤官九郎、田中泯、YOU、枝元萌、加藤ローサ、田口浩正、広岡由里子、神戸浩ら。

 直前に気分を害する事があったので集中しきれなかったのが悔やまれるが、でも、どちらにせよ、コレ、僕はあまり買わない。

 91歳で新作を撮った山田洋次監督のバイタリティには驚嘆するけれども。ただ、「いつにも増して、ゴリゴリの山田節だなあ」と。『キネマ旬報 2023年9月号』掲載の監督インタビューでも、それは明瞭に窺い知れる。観た人の評判は概ね肯定的なものが多数派のようだから、僕の感想なんてアテにならないけどね……

 「<老いらくの恋>がいけない」なんて、全く思わない。良いと思う。一方、昭夫が困惑するのも、まあ、理解出来ないではない。

 僕の母方の祖母は、30歳前後に夫と生き別れ(←だから、僕は祖父の顔を知らない)てから、ずっと家に居たらしい。僕が産まれ、外に住み込みで働きに行くようになった実母の代わりに僕の母親代わりとして6歳まで育ててくれた後、母親とその再婚相手と一緒に住むようになってからも、祖母は常に家の中に居た。外部の交流は、近所の人と少し会話をするぐらいで、殆ど無かった。それが、60歳を過ぎてから、元・義父(=母の再婚相手)が奈良にマイホームを買って一家で引っ越した(←1年半ほどで借金で首が回らなくなって売却。大阪にリターン……)、その際、母が祖母に向かって、「お母さんも外に出て人と触れ合わないと……」と言い出し、祖母は渋々、ゲートボールに通うようになった。ほどなく、祖母は、そこで、知り合ったじいちゃんと恋仲になった。

 ある時期から、祖母は、夕食を殆ど口にしなくなった。そして、母が入浴している間に、こそこそと冷蔵庫からサンマの開きなどを持って、外に出て行き、朝帰りを繰り返すようになった。

 干物ランデブーっ♪

 当然、問題となった。祖母は「実は好きな人が出来てん……」と吐露した。これが、親族全体を巻き込んでの大問題となった。母も、叔母も、その夫である叔父も、大反対であった。なぜか? 祖母が好きになったじいちゃんが被差別部落出身の人であったからだ。既にその頃には、大阪に引っ越す話が持ち上がっていて、祖母は「あの人とおりたい。大阪、行きとぉない」と言った。周囲はやはり大反対だ。やがて、我が家に親族が集まっての会議となった。この時、祖母は、好きになったじいちゃんと雲隠れしてしまった。プチ駆け落ちみたいなものであった。後から知ったところによると、二人で温泉に行っていたらしい。その親族会議は、「部落の人なんて絶対アカン!」という意見が大半を占めていた。それに異を唱えたのが元・義父と僕であった。当時、僕は中学1年生であった。

 少し、横道に逸れるが、僕が通っていた小学校、中学校の校区内には被差別部落があり、同和教育がもの凄く盛んで、それが行き過ぎた部分もあったので、僕はそれに異を唱えた事もある。月に一度、被差別部落出身の生徒が集団登校をするのを、他の区域在住の生徒が校庭で出迎えるという慣例があったのだけれど、その際、部落解放同盟さんの指示の下、大音量で音楽を鳴らして練り歩いて来るので、その通学路のある家から、苦情ではなく陳情が出されたらしい。「赤ん坊が居るんです。泣いて困るので、もう少し、ボリュームを下げてもらえませんか?」と。その陳情に解同さんの、その区域を担当している一人の大人の男性が激怒して、集団登校の出迎えが終わった後、校庭に置かれた壇に上がり、そこから「赤ん坊が泣くぐらいなんだって言うんだ! これは我々の長年に渡る差別との闘いに泥を塗る事だ!!」といったような事を言った。それに対して、僕は「赤ん坊が泣いたら、そりゃあ、親御さんも困るやろう。ノイローゼ(←現代に適した言葉ではないが)にでもなったらどうするんや? それも『音楽を流すな』ではなく『音量を下げて欲しい』なのに…… そんなん言うてたら、そら嫌われるわ。無くなるべき差別も無くならんわ。対話、せなアカンやろ……」となり、「すみません。僕の意見、言ってもイイですか?」として、壇上でマイクを握って、その旨を述べた。その時、解同さんの人から、「お前も差別反対活動に泥を塗る気か!」と迫られたのだが、「そうではなくて…… っていうか、一方的に押し付けて、一方的に跳ね付けてってしてたら、差別なんて無くならないと思います! 僕が言ってる事がおかしいって一方的に批判されるなら、こんな学校、もう来ません!! そんなのの何が教育やねん、っていう話です」となった。そこで、「いや、確かに君の言う事もわかるなあ。ちゃんと話をしよう」という方(←組織の中でも上の人)がいらっしゃって、結果、<以後、住宅街でも音楽は掛けるがボリュームを下げる>という事になった。ここで重要なのは、対話が成立した事である。重要なのはそこだ。一方的な主義・主張の押し付けだと、力の強い者の意見が通るのは当たり前だ。そうであってはならない。そうであっては、常に弱者は不当に負け続けるからだ。

 また、更に余談になるが、大学に進学した後、僕は成績は悪く無かったのだけれど、交通事故に遭って、休学をする事になった。けれど、現在はどうだか知らないが、当時、休学する(=大学に籍を残す)ためには半年分の授業料を納めねばならないという事で、一人暮らしだった僕は困ってしまった。結局、自身の生活費と学費を捻出していた上、妹の学費を貯め、親が拵えた借金の支払いもおっ被せられていた(おまけに、その前年&前々年に、母親が「アンタが持っていると使ってしまうから、コッチで預かる」と言うので、預けていた学費貯蓄を全部使い込まれて……)僕は退学を選択する事になるのだが、その際、法律(刑法・民法)の教授として教えに来ていた弁護士の先生に呼び立てられた。「辞めるって? 辞めるな。お金、私が貸しても良いと考えているんだよ。勿論、賃貸借契約書はきっちりと交わして、ちゃんと返済してもらうけど、君には辞めて欲しくない」との事であった。これには、初めて、この先生の講義を受けた際に、最後、宿題として【同性愛、中絶、女性差別、部落差別について、それぞれどう考えているか?】というペラ一枚のアンケート用紙が配られたのだが、僕がそれぞれの設問に対して20枚ずつ程に及ぶ文章を認めて提出したのが、目を掛けていただけるきっかけであった。考えると、「数行でエエのに、迷惑……」と取られてもおかしくないのだが、その先生は「おっ!!」と捉えて下さったわけだ。その「辞めるな」というお気持ちに応える事は出来なくて、「いや、もう、金銭的に限界なので……」として退学する事に決めたのだけれど(←他の教授陣からも「もったいないなあ。成績、悪くないのに。なんとかならないの?」とは言われたけれど、正直、彼らの言葉はそれほど心に響かなかった。ただ、この先生の言葉だけは「あぁ、ありがたいなあ……」として、今でも忘れられないでいる) ここで契機として作用したのも、対話だ。文章を介してのものであったが、それも対話の一つの方法であろう。ちゃんと僕の文章(=意見、主張)に向き合って下さった。その事が、今でもとても嬉しい。

 あ、話を戻す。祖母の話だ。

 親族会議の中で、祖母の気持ちを度外視した反対意見が圧倒的であった中で、僕は口を挟んだ。

MASA:「ばあちゃんかて、好きな人と一緒になる権利はあるやん!! 被差別部落出身って、それの何がアカンのん? そら、わからないでも無いよ。差別は根深いもん。でもな、ばあちゃん、生命保険ぐらいで、他に財産があるわけでもなし、この歳で子どもが出来るわけでもないやん。好きな人とおらしたってえな……」

叔父(←祖母の長男ではなく、叔母の旦那。僕はコイツが大嫌いだ):「子どもは黙ってろ!!」

MASA:「僕を育ててくれた人や! 6歳まで<お母さん>って呼んでた。僕にかて、言う権利はある。<お母さん>やぞ!! アンタら、土地と結婚したんか? 相手が好きやから結婚したんとちゃうんか? ばあちゃんかて、それでエエやん。何がアカンねん!」

叔父:「うるさい!! 子どもは黙ってろってゆーとんねんっ!!」

MASA:「……あ、そうですか…… あー、わかりました…… ほな、今から、解同さん、呼んで来る。その人、話、聞いてくれる人やから、その人に、今と同じ事、ゆうてみたらエエんちゃう? 僕は黙ってるわ。ただ、僕はばあちゃんを守るぞ!!」

元・義父:「あのですなあ…… 俺は、今回の件に関しては、MASAがゆうとる事が絶対に正しいと思う。これは、この子がゆうとる事が倫理上は絶対に正しい! だから、この子の意見を闇雲に排斥したったらアカン、思います」(←この時と、あとホンの数回しか無いけれども、僕はこの時、「このおっさん、エエとこもあるやんけ」と思った。ま、この元・義父は差別に関しては断固反対の人ではあったので。ただ、僕に対するDVは、それはそれは酷かった……)


 一方で、祖母が好きになったじいちゃんは、土地持ちのお金持ちであって、先方の親族サイドでは、それはそれで反対意見が噴出していたらしいが、祖母が「財産とか、要りません。好きで一緒におりたいだけやから。内妻という事で。お金目的やないんです」という事で、速攻で、「なら構わない。その条件で当人が同居を望むなら、それで問題無い」となった。

 こちらサイドも、最終的には祖母とじいちゃんの同居を認める事になって、祖母は大阪に戻らず、奈良に留まり、じいちゃんの家で幸せな晩年を過ごす事が出来たのでありました(←その後、祖母は霊感商法にヤられてしまって、どないもならんようになったので、僕は泣く泣く縁を切ったので、現在、生きているかどうかも知らないけれど。調べてもいないし)

 『こんにちは、母さん』の大泉洋は、母である吉永小百合が寺尾聰を好きである事に関して、明瞭に「反対だよ!」と主張する。その後、色々あって、その意識に変容は見られるのだけれど、まあ、本作での吉永小百合は土地も家も持っていて財産の問題もあるしねえ……、とは思う。ここはその家庭、それぞれだ。そこはきちんと描けていたと思う。ステロタイプでは無い。

 尚、本作で、吉永小百合が支援する元・肉体労働者のホームレス・井上を演じた田中泯が空き缶満載の自転車を押して歩く場面で、僕は『学校』で、メリヤスシャツを満載にしたリヤカーを繋げた自転車を懸命に押して歩く猪田を演じた田中邦衛を連想した。どちらも愛称は<イノさん>。意図しての事だろう。原作には登場しないキャラクターだ。

 ただ、先にも書いたように、山田洋次の思想がいつにも増して前面に押し出されており、オブラートに包まれていない。丸出しである。そこで、「うーむ…… 相当なプロパガンダ映画であるな」と感じた。ま、大抵の映画はプロパガンダを内包しているのだけれども、今回は、ちょっと押し付けがましかったかなあと。あと、演出や画作りが、チョイと古臭過ぎるなあ、って。だから、僕としては特に推しもしないし、賞賛もしないというわけ。ただ、この作品にも<対話>は有る。そこは肯定的に受け止めたい。

 これも、余談だけれど、昔、僕が<映画の師匠>としていたブックカフェ・ワイルドバンチのマスターであった庄内斉さん(故人)に「山田洋次の『学校』、好きよ」と言ったら、「どこがエエねん、あんなもん! お前、時々そういう事言うよな!!」と呆れられた事がある。ゴリゴリ左翼の山田和夫の映画論集を買おうとしたら、「なんでこんなヤツの本を読むねん!?」と言われ、「いや、読んでみないとわからないから……」と言ったら、「……ほな、400円…… いや、もうエエわ! ヤるわ!! 持って帰れ!! けったくそ悪い!!!」と投げつけられた事も。ワハハ。でも、庄内さん、山田洋次作品全部がダメでは決して無かったのよ。『吹けば飛ぶよな男だが』とか、『男はつらいよ』なんか、「エエよなあ」って仰ってたし。某映画館の月間ラインナップを庄内さんが組む事になった時、「『男はつらいよ』2作入れなあかんねん。1本、自分に選ばせたるわ。俺はリリー(浅丘ルリ子)で行く。自分、誰がエエ?」と言うので、「『男はつらいよ 夕焼け小焼け』!! 太地喜和子っ!!」と即答したら、「ああ、それはエエなあ♪ そうしよ、そうしよ!」と。今となっては良い想い出だ…… 泣ける……(TT)


 で、鑑賞終了。

 でも、鑑賞中、「発券時のスタッフ対応、どうにも我慢がならんぞ…… あれ、他のお客様にも繰り返すぞ。それはアカンぞ!!」となり、責任者の方を呼んでもらって説明&クレーム。

 「カメラで確認してお返事いたします」との事だが、これは翌日に「確認が取れました。申し訳ありませんでした。本人も反省しております。指導・改善して参ります」とのメールが届き、それで解決した。

 が、この時は、この後、梅田に出て、『ふたりのマエストロ』と『YOSHIKI:UNDER THE SKY』もハシゴする予定で居たのだけれど、「こんな気分で映画なんて観ても、さっきと同じようにろくに頭に入って来んわ……」となって、取り止める事にした。

 と思ったら、外は突然のゲリラ雷雨。

 「あ! お天道さんが、僕の代わりに雷落としはった♪ ……って、なんで僕が立ち往生せなアカンねん!!(汗)」

 となり、しばし、雨宿り。

 雨が止んでから帰宅。

 帰宅して、しばらくしてから就寝。

 この日はグッスリと眠られた。良かった、良かった。

 むー。この日記、ほとんど想い出話だな。ワハハ……(汗)

<添付画像使用許諾:(C)2023「こんにちは、母さん」製作委員会> 
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