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一昨日の6月14日、吉野ヶ里遺跡の発掘調査が終了したとの報道がありました。
吉野ヶ里遺跡といえば、邪馬台国の遺跡ではないかと期待されていたことで有名です。
事の発端は5月29日。
佐賀県より吉野ヶ里遺跡から棺が出土したとの発表がありました。
このニュースは瞬く間に読売など大手メディアでも取り上げられました。
理由は、「邪馬台国論争」に決着をつける発見になるかもしれないから、、、
「邪馬台国論争」は教科書上で日本の起源とされている邪馬台国が
「畿内」にあるのか、「九州」にあるのか。
これを問う論争です。
日本がどうやってできたのか、我々のルーツに繋がる問題であり、頻繁にニュースに取り上げられています。
しかし、一向に結論が出ないため、
日本最大の歴史論争や、戦後最大の未解決問題、などとも呼ばれています。
これまで、「邪馬台国論争」に参戦している本は1000冊以上に及ぶ言われているほどです。
ですが、、、その終わりなき論争がいよいよ次の段階に進んだのです。
九州説を取った場合、邪馬台国の遺跡は今回発掘された吉野ヶ里遺跡であるとするのが主流です。
つまり、この発掘調査により卑弥呼に縁あるものが見つかれば、九州説は一気に優勢になるのです。
多くの関係者が固唾を飲んで発掘を見守った結果、
吉野ヶ里遺跡中心にあった棺から出てきたものは
なんと
土のみ、、、
邪馬台国の名を使った町おこしも行っていた周辺住人や、佐賀県知事はがっかりした様子でした、、、
他にめぼしい遺跡もないためこれで邪馬台国が九州にあったという説が立証される可能性はかなり薄くなったのです。
では、「邪馬台国は畿内にあった」とする畿内説の勝利で決まりなのでしょうか?
ですが実は、畿内説の方も、決定打に欠けているのが現状です。
そもそも畿内含め日本のどこからも、古代から卑弥呼を祀る遺跡も神社も見つかっていないのですから、、、
いったいどうしてこれだけ科学が進歩しても邪馬台国は痕跡の一部すら発見されないのでしょうか?
今回の調査結果を受けても、邪馬台国論争はまだまだ続いていくことになるのでしょう、、 、
p.s.
東北大学名誉教授である田中英道先生はこうおっしゃいます。
「結局、邪馬台国は日本になかったのです」
一体どうしてそうおっしゃったのか。
現在、その根拠を詳しく解説したWEB上で見られるPDFを550円で公開しております。
【図版付き完全版】
なぜ卑弥呼神社がないのか - 日本のどこにも存在しない「邪馬台国」
田中先生のおっしゃる根拠を知れば、どうして畿内説も九州説も結果が出ないのか。
疑問や肩透かし感の原因がまるでミステリー小説のように解消されていくでしょう、、、
>詳しくはこちらからご覧ください
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