「あの日の間違い電話」は、震災から数年経って書いた日記。2023年3月11日を迎え、また載せます。
『あの日、東日本大震災の起こった2011年3月11日。私は石川県の金沢市に住んでいて、見ていたテレビのミヤネ屋で地震の発生を知りました。
その時は、そんな大地震だとは思いませんでした。金沢では揺れを感じなかったからです。
まもなく、どの局も緊急放送に切り替わり、東京のスタジオはまだ揺れ続けている様子を映していました。
キャスターたちがヘルメットを被り叫ぶ光景で、尋常じゃないことが起きていると感じました。
震度5強を記録した東京で、保育士をしている娘に電話すると奇跡的に繋がりました。
園児たちを園庭に避難させているが、何が起きたかわからない。と言っていたので、地震の概要を知らせたら少し落ち着いたようでした。
該当地以外からの情報は大事だと思いましたが、それ以後暫くは電話が繋がらなくなりました。
夕方、行きつけの喫茶店「珈琲のばん」に行くと常連さんが、津波の様子が中継されているテレビを無言で見ていました。
テレビが映っていなければ、いつもと変わらない平和な風景です。金沢に住んでいた私には、今一つ何が起きたかピンと来ていません。この時、やがて全国規模の災厄になっていこうとは、知るよしもありませんでした。
その後の心境については、当時の日記に書かれており、今読んでも自分の尖りぶりに驚きます。
あの時は、天候、時期、政権、全てのタイミングが悪い形で合ってしまった感がありました。
家に帰っても、当時自分が何をしていたか思い出せません。多分、ずっとテレビ画面を見ていたのでしょう。
すると、その夜、固定電話が鳴りました。出ると「○○ちゃん?あ〜、繋がった。よかった〜」という見知らぬ声が。咄嗟に、東北に電話をかけている人なんだと悟りました。
「ごめんなさい、金沢にかかってるんですけど、お間違いじゃ?」
「え!?金沢ですか…」
相手の落胆する気持ちが伝わって来ました。
聞けば、世田谷区に住んでいる人ですが、陸前高田市に住む妹さんに電話してたが、繋がらなくて何度もかけて、ようやく繋がったと思ったんだそうです。
陸前高田が津波で大きな被害が出ていることは、その時は知りませんでした。
「きっと大丈夫ですよ。ちゃんと逃げていますよ」と、しか言えませんでしたが、その人は「そうですね。信じて連絡来るの待ってみます。見ず知らずの方にまでご心配かけました。ありがとうございます」と言って電話を切られました。
後に、陸前高田の被害状況を知るにつけ、この時、その方の電話番号とお名前を訊かなかったことを後悔しています。わかっていたらどういう状況であれ、知り合いの人として力になれたのにと。
その後、ボランティアにも行けない身としては、募金でしか貢献出来ないと、募金してきましたが、今の復興状況の遅さをみるにつけ、あの義援金は被災者の方にちゃんと届いたのか疑問視しているこの頃です。』
あれから今年で12年。復興してきた被災地。
テレビで防潮堤を辿る番組をやっていた。
見上げるような防潮堤からは海は全く見えない。
大規模な工事をしたのに、元の住民は高台に移り住む人が居ない地域もある。
未来に、防潮堤が残念な遺産とならないことを願う。
復興予算や義援金が有効に使われているか、知るよしもない。
あんな大災害を体験し、日本人は絆という言葉を意識し、崇高な精神にあったと思う。
が、今を賑わす事件を見るにつけ、明らかにあの時より日本人の人間性は劣化しているように感じる。
今が震災後ではなく、震災前であるかも知れない。
3月23日に冥王星が権威の山羊座から自由平等の水瓶星に、240年ぶりに移動する。
世の中の潮目が変化していく兆し。
備えよ。
ログインしてコメントを確認・投稿する