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2022年07月01日15:01

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原発雑考第408号の転載    最高裁 国を免責、ウクライナ戦争と原発など

原発雑考第408号の転載です。

2022・7・5
発行 田中良明
転載自由
連絡先 豊橋市富士見台二丁目12-8 E-Mail tnk24@tees.jp


最高裁 国を免責

 6月17日、最高裁第二小法廷は、福島原発事故の損害賠償を求めた住民訴訟で国の監督責任を認めない判決を下した。判決は、国が東電にしかるべき対策を命じておけば事故は防げたかという「結果回避可能性」のみについて検討し、事故の原因となった地震は2002年の国の「長期評価」の想定よりも遥かに大規模だったので、その想定にもとづいて対策を取らせていても事故は防げなかった可能性が高いと判断した。
 具体的にはこの「長期評価」にもとづいて2008年に東電の子会社が行った試算を「合理性を有する試算」と評価し、この試算にもとづいた対策を取っておれば事故が防げたかを検討した。試算では、福島第一原発には最大で、南東方向から15.7メートル、東方向から敷地の高さを超えない10メートル以下の津波が来るとされていた。実際の津波は14〜15メートルで、南東方向だけでなく東方向からも来た。これらのことから、仮に国が東電にたいして試算にもとづいた対策を取らせていても、試算を超えた津波が来た東方向からの海水の構内流入を防ぐことはできず、海水流入が主要な原因で起きた原発事故を防ぐこともできなかった可能性が高いと結論づけた。
 試算は、南東からの津波の高さをほぼ正確に予測しており、東からの津波の高さを見誤ったとしても、そのことが、この津波が試算の基礎になった「長期評価」よりも遥かに大規模だったことの証拠になるのか、大いに疑問だ。
 そもそも、事前の想定にもとづいて採用する対策には、想定をいちおうクリアーできる程度の対策(最低限対策)と、万が一にも重大事故は発生させないための対策(最大限対策)がある。原発については事故が起きた場合の影響の大きさを考えれば、最大限対策を採用するのが当然である。しかし判決は、試算から導かれる範囲内での対策=最低限対策だけで可としている。
 これは原発安全確保の考え方としてまったく不適切であり、この判決は東電子会社の試算を都合よく使って国を免責したものだと言わざるをえない。


ウクライナ戦争と原発

 ウクライナ戦争が出口が見つからないまま続いている。これからさらにどんなことが起きるか分からないが、すでにこの戦争をめぐっていくつかの論点が出現し、それらの論点についてあたかも分断された世界を反映するかのように、ほぼ正反対に近い主張が並び立っている。
 その一つが、この戦争の原因はロシアの安全保障上の懸念(NATOの東方拡大)なのか、プーチン体制の大ロシア主義指向にもとづくウクライナ属国化の野心なのかという議論だった。戦争勃発当初は、前者が優勢だったが、次第に後者が優勢になった。そして6月になってプーチンが「現在のロシア人にはウクライナを奪い返してロシアを強化する責任がある」とまで語るようになって、ウクライナ属国化の野心があらわになった、戦争原因をめぐる見解の対立は事実上消滅した。
 私が関心を持っている領域では、「ウクライナ戦争と核」という問題が発生している。そこには、「ウクライナ戦争と核抑止論」と「ウクライナ戦争と原発」という2つの系論が存在する。このうち前者については前号で簡単ではあるが私見を述べたので、本号では後者について述べることにする。
 戦争と原発は相容れないことはこれまでも指摘されていたが、ロシア軍の原発攻撃という無謀行為によって強く再認識され、戦争が根絶しえないかぎり原発は存在すべきでないという主張が急浮上した。これは脱原発に繋がるものである。同時に他方で、この戦争による化石燃料の供給不足、価格高騰への対策として原発の活用を求める主張も現れた。これは原発推進に繋がるものである。「ウクライナ戦争と原発」という問題をめぐって、脱原発と原発推進という正反対の指向性を有する意見が並立しているのである。
 戦争時の原発の危険性については、原発が攻撃によって破壊されれば、放射性物資が漏出し、場合によっては核兵器による攻撃に等しいほどの被害をもたらす。つまり原発は戦争下では自爆型原爆となる(404号では据え置き型原爆と表現したが、自爆型原爆のほうが適切だろう)。原子炉はミサイルや爆弾などの攻撃に耐えることはできないし、周辺装置は原子炉よりはるかに脆弱であり、地上攻撃によって簡単に破壊される。そしてたとえば冷却システムが破壊されれば原子炉が健全であっても核燃料の冷却不能によって大事故に繋がる。それどころか、原子力発電所内部は無事であっても、外部電源からの送電が攻撃によって長時間途絶すれば、やはり核燃料の冷却不能に陥る。とはいえ外部電源まで防御することはとうてい不可能である。
 どれだけ軍備を強化しても戦争下で原発の安全性を確保し続けることはできないということであり、原発や関連施設を通常兵器で攻撃することで核攻撃と同じ結果を生じさせることができるということである。
 つぎにこの戦争による化石燃料の調達難、価格高騰への対策として原発の活用を求める主張であるが、このことを論じる際まず押さえておかねばならないのは、この戦争はいつまでも続くわけではないということである。どんなに長くても数年だろう。しかもこの戦争の前から脱炭素化のための省エネ・再エネ利用が進展しており、それはこの戦争によって明らかになった化石燃料外国依存の危険性と化石燃料の調達難、価格高騰への対応のためにいっそう加速されている。この流れは戦争が終結しても継続するだろう。さらにこの戦争が終結すればいずれロシア産化石燃料が世界市場に再登場することになる。これらのことを考えあわせれば、化石燃料の調達難、価格高騰が続くのはせいぜい数年間のことであることは明白である。
 原発の新設には10年単位の時間を要するから、この戦争による化石燃料の調達難、価格高騰への対応策にならないことは明らかである。対応策として考えうるのは、運転停止が予定されている原発の運転延長である。そういう原発が少なくない西欧ではこのことが議論されている。しかしすんなり運転延長が認められるのではなく、ドイツでは効用が少ないとして運転延長は行わないことになっている。原発はあらゆる面で小回りが利かず、当座の用だけに役立てるような使い方には無理があるのである。
 日本固有の事情として福島原発事故で止まったままの原発の再稼働の問題がある。再稼働が進まないのは、地震・津波・噴火対策や住民避難計画、さらには電力会社の原発運転能力についての疑念、およびそれらが原因となって生じている訴訟リスク等の広義の安全性問題がそれぞれの原発について具体的に問われているからである。再稼働の理由としてウクライナ戦争を持ち出しても、再稼働問題の中心的論点が安全性問題であることを考えると、再稼働促進に有利に働くことはありえないだろう。 
 まとめていえば、「ウクライナ戦争と原発」という問題について唯一意味があり、決定的に重要でもあるのは、「原発は戦争がある世界とは相容れない」という常識がこの戦争で再確認されたことである。逆に、「戦争があったので原発推進を」という主張は、「原発は戦争がある世界とは相容れない」という常識の否定であるだけでなく、原発をめぐる現実にまったく照応していないという意味で無内容でもある。「戦争があったので原発推進を」というのは、戦争という惨事に便乗した原発推進のプロパガンダにすぎない。


雑 記 帳

  6月初旬の快晴強風の日の朝10時半ころ、1匹のムギワラトンボが庭の水がめに落ちているのを発見。4枚の羽はくっついた状態で、水がめに差し掛けてあった羽化支援用の竹串にヤゴの脱け殻があったから、そこで羽化した後、強風で飛ばされて落ちたようだ。拾い上げて庭の木の葉に乗せた。昼前まではそのままだったが、1時半ころに見に行ったら、姿がなく、周辺をかなり丹念に探しても見つからなかった。羽が乾いて広がり、飛び立つことができたのかもしれない。けっきょく今年は、この1匹を含めて4匹が飛び立ちに成功し、2匹が失敗した。わが家のある団地のなかには小川も小池もないので、トンボは水がめのようなところに産卵するほかないようだ。
 ツバメは6月初めまではよく来ていたが、だんだん来なくなり、家の周辺にいたツバメたちが集団宿営地に移動した20日ころからは、ほとんど来なくなった。わが家の巣は、近くの巣で子育て中だったカップルがセカンドハウスとして使っていたようだ。
中旬のある日、連れ合いが家の前の公園で小鳥の巣が地面に落ちているのを発見した。内径が6センチほどの小さな巣で、内側には羽毛が張り付けられていた。4月から5月にかけて巣が落ちていたあたりでシジュウガラがよく鳴いていたから、シジュウガラの巣だろう。ヒナが巣立って放置されていた巣が強風で落ちたと思われる。
 6月10日ころから庭のギンバイカの花が咲きはじめた。ギンバイカは梅に似た形の白い花を付ける地中海沿岸原産の常緑低木で、樹勢が強く、花は清楚で微香があり、葉も照りがあって美しい。ヨーロッパでは結婚式の花輪に使われるそうだ。花の少ない時期に咲くので、ミツバチがやって来る。残念ながら今年はその数が少ない。庭に来るアシナガバチもやや少なめだ。代わりにヒメスズメバチと思われるハチがときどき来ている。このハチはアシナガバチの巣を襲うそうだから、要注意だ。
万場緑地のネコ 第31話  5月20日ころから早朝や日暮れ後にたまに現れていたネコが、6月中頃にお腹がへこんで乳房が大きいという出産後の体型になって現れたらしい。昼間はまったく見かけないので、ねぐらは万場緑地から離れたところにあって、緑地には餌をもらいにだけ来て、私たちのグル-プのメンバーとは別の時間帯に来る人たちからもらっていたようである。仔ネコがどうなっているのかが気になるが、とりあえず不妊手術のための捕獲の準備として餌付けをはじめた。

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