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2022年06月06日11:43

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いい経験させて貰えた

ブラジルの兄の元に自分は行く事は出来なかったが剛は3度行かせて貰えた。姉も3回お呼ばれ、九里子はサトシ君従兄弟の結婚式にお呼ばれ、長期休みは取れず辞めてブラジリアからイグアスの滝迄3週間連れてって貰えたとか。剛は高二の夏に我々両親の位牌を届けさせた際、(石松の代参わーい(嬉しい顔))伯父さんはオヤジそっくりだったって。何をいいたかったか解らなかったが、日本語は勿論、英語も通じなかった客12人だけだった小型機でコルンバでの飛行場に迎えに来て貰った時はダッシュ(走り出す様)ホットした事だろう。引っ込み思案だったがたった2週間でだけだったが自信持たせて貰えた様だった。2度目は新聞奨学生で稼いだ資金でシアトル留学中にペルー人質事件の年だった。モアイ像のあるイースター島に渡り運転したことの無いレンタカーで回ったって。伯父が居たればこそ冒険させて貰えた。その伯父が死んだ。

オヤジが小3の時に亡くなり兄は高校にも行けず鶴見の乾物屋で小僧に出された、ハシゴで上がる布団も干せない屋根裏部屋。オレが暮れに手伝わされた棚卸後寝かされた兄の布団の冷たかった事今でも忘れられない。子供が帰ってくると言われたら布団だけは干す様にしてる。農業移民で渡伯、玉ねぎ、米、綿等11家族ぐるみ雇ってたが、父親にカネ貸したとか云う人に出会ってからか?日本人の1人もいないボリビア国境の街コルンバで乾物屋から始めて国境警備隊に納入できる様になったら超インフレ。運も良かった。仕入れたものが翌日には倍とかで事業拡大で店も一等地石畳の角地に進出。それから姉が呼ばれたり剛が招かれたりに繋がった。軍隊との取引期間中は日本にも帰れなかった。3日以上離れてはいけない当時の軍事政権。民政に移行するとブラジリヤ中央政府の集中購買で負担ばかり増えると言って辞める決断。そこでやっと50年振りで日本に来れたんだった。
最後は取引に事寄せた統一教会に店を危うく乗っ取られてそうになったがそこは海千山千の兄貴。ちゃんと売却。引退決意してからはサンパウロにの息子の格闘着製作会社を手伝い、一線から引っ込み。数年後ロンドリーナで自宅でインストラクターの長女和恵ちゃんの元でお花や畑の野菜作りとか悠々自適。オレのmixi日記を毎日覗いてくれてた。兄貴以外は日本語得意じゃないのは九里子が一番知ってた。皆んないい経験させて貰えてた。


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