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2022年01月15日21:42

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昨年末の入院体験記!

昨年末の12月24日(金曜日)

クリスマスイブのその日は早番の朝7時15分の出勤

なんとなく腹に痛みを感じはじめたのは午後2時頃から

私のお知り合いのほとんどの方はご承知のごとく、9年前に直腸ガンで手術を受け
今回痛み出したのはその切った腸のあたり

今までもごくたまに痛んだがせいぜい1時間くらいで引いてたので、今回もすぐ引くだろうと思ってたら

午後4時、定時であがりバスで海老名駅に着いたのが4時40分頃
駅のホームに来た頃には動けなくなるほど痛みが強くなりホームのベンチでうずくまって、ついに吐いてしまう

見かねた駅員さんが救急車を呼んでくれて、救急車が着いたのが6時半くらい

救急隊の隊員の方に9年前に手術したことを伝えると、近くの海老名の病院ではなく地元の手術した厚木市立病院に連絡をとりまわしてくれた。

隣町とはいえ年末の夕方ということもあり病院に着くまで40分くらいかかり、その間も痛くてのたうちまわっていた


ようやく厚木市立病院に到着、救急搬送受付けにまわされるが、再び吐いてしまう

点滴で痛み止めを注入するもまったく効果なし

そこにさっそうと現れた担当医の先生

先生 「ここで手術した患者さんだって?」
看護師さん 「そうです。 その手術した部分が痛いそうです。」
先生 「その部分見てみようか」

一目見て手術した腹に手をあて
先生 「この部分が痛みますか?」
私  「はい〜・・・」
先生 「うん、これはストマヘルニアだな」
看護師さん 「そうなんですか?」
先生 「うん、ちょっとどいて」 
看護師さん 「先生、大丈夫なんですか?」

先生、突然手術した腹の部分を手でグイグイと押し付ける
私 「ひぃぃぃぃぃ〜」
先生 「ああ、大丈夫、ちょっと痛いけどすぐ引くから」

すると

これまでのたうちまわってた痛みがす〜っと引いてしまう・・・

先生いわく
「やはりストマヘルニアのようです。 手術した腸が少しずれてしまったようです。  腸を切った人にはたまに起きることです。
痛みが起きなければ多分大丈夫でしょうけど、腸の内部が荒れたり避けてる可能性もあるのでレントゲンをとり、2日間水だけで3日後に食事をとって様子を見ましょう。
まあダイエットだと思って我慢してください。
さんざんなクリスマスになりましたが、年末年始に家で過ごせるようにここは我慢しましょう」

と言ってスタスタと去っていった。


以前書いたとおり、9年前の担当医は韓国ドラマに出てきそうな長身のイケメンだったが
今回の先生は背は低いが男性版ドクターXと言うよりは昭和のヒーロー、
さながら2号ライダー 一文字隼人的な

イメージはまさしくこんな感じ




真っ先に思ったのが翌日に立川Crazyjamで開催予定だった「昭和歌謡大全集〜赤白歌合戦」
予定の19曲全曲を私が弾く予定だったのでもうこれはムリとあきらめ
レントゲンが終わり救急搬送病棟へ移され
最低限必要な職場の上司への報告とCrazyjamの店長とコミュニティへの書き込みすると、どっと疲れがでたのか?すぐ寝てしまう。

(結局「昭和歌謡大全集〜赤白歌合戦は鶴見店長の判断で中止、2月19日にリベンジ開催になる)


翌25日、午前中の検査を終えると外科病棟へ移動

以前入院した時は1部屋6床あったベッドがコロナにより今回は4床、|面会謝絶で身内や家族はナースステーションの入り口で差し入れの物を届けるだけ、パソコンが持ち込めずスマホやタブレットでのネットも最低限、テレビも見る気にもなれず昼寝ばかりしていた。

ただ担当医の先生が異常なければ年内で退院できると断言してくれたおかげで不安感は全くなかった。

3日目、前の日によく寝たせいか?気分も良くなり点滴引きずりながら歩きまわり、
朝食がないので談話室へ行きテレビで見たのがBSのウルトラセブン「セブン暗殺計画 後編」
その後は置いてあった歴史読本等の雑誌を読んだり
なんでも鑑定団の再放送や笑点などを見ながら合間にうろうろ歩いていた。

4日目からお粥の食事が出て、とにかくゆっくりよく噛んで食べることを心がける
食事がはじまると点滴が外れ解放感満載、

痛みはまったく出ないので5日目に退院できるかと思ったが、一文字隼人的な先生は「はい、じゃ明日退院」
私 「えっと、今日じゃなくて?」
先生 「はい 明日」と言い放ちさっそうと去って行った。


入院中の不安感がまったくなかったのは今回も厚木市立病院の担当医の先生、看護師さんや職員の方々がとても明るく親切に接していただいたおかげと本当に感謝感謝。

最初の救急搬送病棟の病室はナースステーションのすぐそばで、夜勤の看護師さんが内容までは聴き取れないながら話してる声は聞こえとても雰囲気の良い職場で皆さん生き生きと明るく元気に働いてるのがわかり、とても安心感があっていい職場だなあと感じた。

看護師さんは交代で担当についてくれて若い方ばかりだったが、3日目に9年前に手術した時の看護師さんが担当につき
「高木さ〜ん、お久しぶりです〜、大変でしたね〜」と声かけてくれた。

私は、手術後5年目の検査で異常なしとなり担当の先生から「これで無罪放免です。 もう二度とこんな所にこないように」とヤクザ映画で出所した極道に刑務官が言うようなセリフを言われたのに
すみません、また戻りましてお世話になりますと答えて笑ってたが、なんかとても安心した。

退院後、年明けて診断に行ったのが1月7日、
一文字隼人的な先生は「もう大丈夫ですね、食事だけ気をつけて、よいお年を〜」


退院後数日間はやはり体力が落ちていたのか、外出すると早く疲れが出たが徐々に回復
年明け5日からの仕事始めの頃にはすっかり回復できた。


ところで今回の入院で気になったのが
先生や看護師さん達は明るく元気に親切に対応してくれてるのに、入院患者の方々に元気がなかったこと
面会謝絶ということもあるのだが、談話室もたまにひとりいるくらいでほとんどの時間誰もいない

外科病棟の入院患者は圧倒的に年配の方が多く、9年前の入院時には私なぞヤングで、あるおばあちゃんから「おにいちゃん」と呼ばれたものでスマホでネットやってる人は少ない

面会謝絶の中で新聞や週刊誌も売店があく9時以降でないと購入できず
テレビは朝からコロナを煽る報道ばかり、これでは具合は悪くなる一方ではないか?

コロナ禍がはじまった頃から厚木市立病院の近くの看護学校では多くの若い看護生の方が登校してるのを見かけ、
厚木市長と市立病院の立ち上げに全面的に協力した慈恵医大病院の後押しで、若いスタッフの育成に力を入れていた。
(今回の担当医や手術してくれた先生も慈恵医大病院から派遣されてる外科医だった)

今回の入院中も若い看護生の方々が実地研修で回診に回ってきて
「大野さん、具合はいかがですか〜?」
「あっ? あの・・・ 高木です」
「あ〜? すみません」
(大野さんは向かいのベンドの患者さん)
というような会話がかわされたが皆さんとても明るく働いているのにとても好感が持てた。

感染者(正確には陽性反応者)が増えたといっても大半の人が無症状で入院率重症者率死亡率は以前よりはるかに下がっているのだから、
この程度のことで明るく元気に働いてる若い医療従事者の足を引っ張るような発言や報道はすべきではないと思った。


さて私ですが昨年の目標、健康的に暮らすは年末に思いきり挫折したので
今年の抱負はこの病院の方々を見習い明るく元気にしぶとく生きる!!


まずはこの冬を心も体も暖かくして乗り切る!

そうだ暖かい牛乳を飲もう



「暖かい紅茶もいいですよぅ」by杉下右京

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