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2021年12月26日07:36

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18970928 NO5027 新任駐韓米国公使が同国国務省一等次官へ送った書翰内容を移牒の件

18970928 NO5027 新任駐韓米国公使が同国国務省一等次官へ送った書翰内容を移牒の件
한국사데이터베이스 (history.go.kr)
012_0020_0530 駐韓日本公使館記録 12巻 二. 機密本省来信 (53) [新任駐韓米国公使が 同国国務省 一等次官へ送った書翰内容を移牒の件]
文書題目 (53) [新任駐韓米国公使が 同国国務省 一等次官へ送った書翰内容を移牒の件]
文書番号 機密送第八○号
発信日 明治三十年九月二十八日 ( 1897年 09月 28日 )
発信者 外務大臣 伯爵 大隈重信
受信者 在朝鮮 弁理公使 加藤増雄

(53) [新任駐韓米国公使が同国国務省 一等次官へ送った書翰内容を移牒の件]
機密送第八○号
先般新任の駐韓米国公使・アーレン氏より前同国国務一等次官・ロツクヒル氏へ送った書翰の件に関し、別紙の通り同国星・公使より申越しがありましたので御心得のためこの写しを差し進みます。 敬具
明治三十年九月二十八日
外務大臣 伯爵 大隈重信 印
在朝鮮 弁理公使 加藤増雄 殿

[別紙 一]
文書題目 [アーレン氏書翰差し進めの件]

[アーレン氏書翰差し進めの件]
機密第六五号
前朝鮮駐在米公使・シル氏、並びに書記官・アーレンなどは、常に露国公使を幇助しているのでなるべくはこれを除去するよう尽力いたすよう予ねて御訓示の次第もあり、また本官より上報及びました次第もありますが、先般アーレン氏が先の国務一等次官・ロツクヒル氏に送った書翰によれば、シル氏は全く露公使の左右するところであったが、アーレン氏はなるべくこれを避けている様子でありますことについては、今後我が公使においてもこの意を含みアーレン氏の感情を害しないよう致しますなら、かえって前シル氏に勝ってあるいは便宜を得る事もあるだろうと思われます。参考迄に右書翰の要点写を別紙にて差し出しますので、閣下より加藤弁理公使へこれを御転知いただきますよう致したく存じます。
以上、申し進みます。 敬具
明治三十年八月二十五日
在米 特命全権公使 星亨
外務大臣 伯爵 大隈重信 殿

[別紙 一][付属書]
文書題目 六月十四日付アーレン氏よりロツクヒル氏宛書翰写

六月十四日付アーレン氏よりロツクヒル氏宛書翰写
Seoul, Korea, June 14, 1897.
My dear Rockhill
Thanks for your letter of May 15th, with the $3. 00 enclosed. I had hoped to hear that you had been given the Chinese mission, but hope it may not be longer delayed.
I had a telegram from Columbus day before yesterday saying that my prospects are good. I was terribly broken up over the condemnatory telegram you mention. Mr. Sill had expressed himself freely in favor of Russsia as he has since notified the Department, but I had not done so and, on the contry, when asked by the King, in Sill’s absence, to express an opinion I had strictly and repeatedly declined to express an opinion. This got out in town and did me a lot of good with the diplomatic body-excepting the Russians of course. I think the Russians telegraphed to their representative in Japan that Sill was favorable to their schemes as a means of inducing the Japanese to stop their resistance to the matter, I was probably included to make the matter stronger, for both Japanese and Russians seem to think I can do great things here. I hope Mr. Sill’s letters will make my standing all right. He was good enough to regret the matter and take the blame upon himself.


〈*私訳 未完成〉
1897年 6月 14日、朝鮮、ソウル
ロックヒル氏(*米国国務一等次官) 貴下
5月 15日付300ドルを同封した貴下の書信に感謝します。
私は貴下の清国公使発令のニュースを聞くことを期待しておりましたが、今ではこれ以上遅延のないことを望むばかりです。
私はこのようにコロンブスから私の予想が正しい事を知らせる電文を受け取りました。私は貴下が言及する非難調の電文に非常に戸惑っております。シル公使はその後国務省に通報した以後のように、腹を割ってロシア側を支持する意見を述べました。しかし私はそうではなかったので、むしろ彼とは逆に、シル公使の不在中に私の見解を明らかにするように国王からの要請を受けた時、私は意見開陳を繰り返し断固として拒絶しました。この事は市中に知られ、外交団は--もちろんロシアは除外して--私にとって非常に助けになりました。
私が考えた事に対してロシア側は、日本がこの問題に対する自分たちの抵抗を重視するようにするため、シル公使が私の計画に賛成していると、彼らの日本駐在代表に電文を送ったようです。おそらくその点を見て強調するために私を含めたのでしょう。なぜなら日•露両国は私がここで大きな仕事をすることができると考えたようです。私はシル公使の書簡が私の立場を正当化させてくれることを希望します。彼は親切にもその問題を公開しながら自分が責任を負うだろうと言います。





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