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2021年08月18日23:49

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巧いけど巧くなかったアニメーター/追悼・須田正己さん

■アニメーターのレジェンド須田正己氏の訃報 手塚るみ子さんら悼む
(日刊スポーツ - 2021年08月18日 10:18)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=6633251

 今、記事を見てみたら、午前中は見出しが「須田正己氏の訃報に哀悼の声多数」だったのが、「巨匠アニメーター須田さん哀悼」に変更されていた。アクセスランキングも1位。
 しかし、コメントをざっと眺めてみても、「須田正己という人を初めて知った」って感じの人ばかりのようだ。多分、Wikipediaあたりを読んで、「ええっ、『ガッチャマン』のアニメーターだったのか!」「『北斗の拳』のキャラクターデザインも!」と知って、反応したってところじゃなかろうか。要するに、特にアニメファンでもない一般人が、「何か呟かなきゃ」っていう「いつもの」衝動に駆られて、生半可な知識で追悼っぽいことを書いてみたんだろう。
 まあ、「それ誰?」的なことを書かれるよりはマシではあるが、昔からのアニメファンからすれば、あまりいい感じはしない。Twitterでは後輩のアニメーターたちが、一斉に思い出話を披露していて、賞賛と哀悼の声一色である。それは関係者だから当然なんだけれど、さて、実際に須田さんのアニメを観てきたファンの立場からすれば、率直な感想はどうなのか。毀誉褒貶相半ばするというのが本当のところなのではないか。

 須田さんが「巧い」アニメーターだったというのは本当である。
 しかし、アニメーターには大雑把に2種類あって、一つは自身の個性、特徴、オリジナルの絵柄を持っていて、どの作品を見ても「ああ、この作画は○○さんだ」と分かる人。もう一方は、自身の個性を表には出さず、どんな絵柄でも多彩に描き分けることができる人。前者を「天才型」、後者を「職人型」と呼んでもいいが、須田さんは明らかに後者だった。
 タツノコプロの初期作品、『ハクション大魔王』にしろ『科学忍者隊ガッチャマン』にしろ、キャラクターデザインは吉田竜夫、久里一平兄弟で、作画監督も兼任していた。しかし、アメコミ調で、アニメーションとして動かすには相当な技量が必要とされる吉田兄弟のデザインは、テレビアニメ創生期のアニメーターたちが作画するには荷が重すぎた。ろくなアニメーターがいない中、筆頭アニメーターとして活躍されたのが須田さんだった。須田さんの基本方針は、「動かせないなら、動かさない演出でこなせばいいじゃん」である。そこで、動かすとデザインが狂いやすい人物は止め絵を多用し、その代わりデザインが狂いにくいメカは存分に動かすという、効率化を図った。
 『ガッチャマン』で言えば、第1話のメカだと、タートルキングとかは現代の目で見てもよく動いてるよね。でも人物の方はとなると……。
 いや、『ガッチャマン』は、人物の「決めポーズ」は「動かしてないから」物凄くカッコイイのである。これはこれで評価しなければならない作画演出だと思う。

 しかし、この手法は、「アニメーションは動かしてナンボ、作画枚数を使ってこそナンボ」という認識がデフォルトになっていく80年代以降は使えなくなってくる。
 タツノコを離れて、東映動画(現・東映アニメーション)の作画を担当するようになってから、須田さんのアニメファンからの評判は、一般的な人気とは裏腹にすこぶる悪くなっていった。
 ちょうど東映動画の低迷期に当たっていて、優秀なアニメーターがタツノコ以上に払底していたことも災いしたが、代表作のように言われている『地球へ…(劇場版)』『Dr.スランプ アラレちゃん』『北斗の拳』、いずれも、放送当時は「作画の荒れ」が酷評を喰らっていたのだ。いずれも、作画崩壊の回も多い。『地球へ…』も『Dr.スランプ』も、後にリメイクが作られたのは、東映アニメーションの作画技術が向上して、「あの頃の作画を反省して、ちゃんとアニメーションらしいアニメーションとして視聴者に届けたい」というスタッフの思いがあったからだろう。
 そして、それらのリメイクに、須田さんは関わらせてもらえてはいない。これが厳然たる事実である。

 近年の須田さんが、某宗教映画の広告塔的アニメーターになってしまったことは、さらなる不評を呼ぶことになった。
 これまで団体が製作してきた全てのアニメ映画に、監督の今掛勇ともども参加して、団体主催のイベントにも参加しているから、仕事で仕方なくということではない。完全に信者になっている。
 映画の内容が、誰もがただのフィクションとして見られるなら構わないよ。
 でも、教祖様が何とかの生まれ変わりで、信奉しないとえらい目に遭うぞとか、世界の首脳は宇宙人に心を乗っ取られていて、滅亡の危機が迫っているとか、そういうことを本気で布教して、金儲けに走っているのを見ていると――これは「罪」だと言わざるを得ないのではないか?
 過去にどんなに優れた作品を残していたとしても、そのこと「だけ」を取り上げて賞賛し、非難されるべき作品のことはなかったものであるかのように見過ごす――これは、かえってアニメーターとしての須田さんの本質から目を逸らして冒涜する行為に他ならないのではなかろうか。

 須田×今掛コンビの宗教劇場映画シリーズ、6作もあるんだよね。
 まあ、「須田さんの作品だから」、観に行ったさ。でもストーリーに問題があるだけじゃない。予算はあるから、作画枚数は掛けてるけれども、キャラクターデザインも個性がなく、古臭くて、動かし方、演出も最後の決めポーズで見せようとする70年代の手法のまま。とても誉められた出来じゃないんだよ。
 でも、これがまさしく須田正己という「巨匠」の集大成だ。誉めるにしろ貶すにしろ、これらのシリーズを観ずして、須田さんを語れはしない。
 今、須田さんを褒めそやしてる人たちは、この晩年の大作シリーズをちゃんと観ているのだろうか? そしておそらくは須田さんの遺作である『宇×の法-エ×ーヒム編-』(10月公開予定)は観に行くのだろうか? 「ただ呟いてみただけ」で、思い入れも何もない一般人が、そこまで関心を寄せるとは思えないんだけれども。

※映画の予告編動画は貼りません。観に行くのは個人の自由ですが宗教の宣伝をしたいとは思わないので。
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