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2021年07月06日04:42

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リスト ピアノ協奏曲第1番

フランツ・リスト作曲
ピアノ協奏曲第1番変ホ長調S.124
東 誠三(ピアノ)
白河和治指揮
港北区民交響楽団


かんち自身の解説

リストのピアノ協奏曲第1番を演奏する日本代表は、白河和治指揮港北市民交響楽団。循環形式完成のエピソードを持つこの作品に対し、見事な演奏を見せてくれます。

当然市民オーケストラなので、アマチュア。このオケをライヴで聴きに行ったことはないのですが、演奏を聞いたときに「このうまさはなんだ?」と思いました。最近は無理してプロオケを聴きに行かなくても、地元のアマチュアオーケストラを聞けばほぼ十分なくらいにどのオケもうまくなっています。ピアノの東氏も素晴らしく歌うピアノ!アマチュアオケの日本代表はいくらでもいますけれど、いろんな関係もあり今回は港北市民交響楽団が代表です。

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ピアノ協奏曲第1番変ホ長調 S.124/R.455(独語:Klavierkonzert Nr. 1 in Es-Dur 英語:Piano Concerto No. 1 in E-flat major)は、フランツ・リストが1830年代から1856年にかけて作曲したピアノ協奏曲。

リストは本作の協奏曲を作曲する以前の1821年頃(ないしは1825年頃)に2曲のピアノ協奏曲(S.713)を作曲しているが、この2曲は現在楽譜が紛失しているため、本作が最初に完成させたピアノ協奏曲ということになる。

本作の着想は1830年代頃に書かれたスケッチ帳に、第1楽章の冒頭主題と終楽章の行進曲調の主題が書かれていることから、この頃からすでに着手していたと考えられている。1835年に初稿が完成され、この初稿は全3楽章から構成されるものであった。その後リストはこの初稿を単一楽章の形式に改訂を行い、1839年に初稿の改訂版をひとまず完成させているが、ピアニストとしての活動もあったため、中断を余儀なくした。再開したのは7年後の1846年で、ヴァイマル近郊のアルテンブルクの別荘で本格的に着手し、1849年7月に最終稿を完成させた。しかし完成後すぐには発表せず、1853年に再び改訂し、初演後の1856年にはさらなる推敲が加えられている。

初演は1855年2月17日、ヴァイマルの宮廷で行われた演奏会にて、エクトル・ベルリオーズの指揮と作曲者自身のピアノによって行われた。

バルトーク・ベーラは本作について「循環形式によるソナタ形式を初めて完全に実現させた作品であり、共通の主題が変奏の原理によって扱われている」と述べた。
本作はトライアングルが第3楽章を中心に用いられているが、当時の楽器編成にトライアングルを用いることは非常に珍しいものであった。また上記のように当時としては革新的な構成のためにエドゥアルト・ハンスリックから批評の対象にされ、彼から「トライアングル協奏曲」と揶揄された。
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