今から50年前の1971年7月3日
仮面ライダー第14話「魔人サボテグロンの襲来」で一文字隼人はさっそうとあらわれた
この年の4月3日に仮面ライダーが放送開始
だがこの数日前に主役の本郷猛役の藤岡弘氏は第9話10話のバイクの走行シーンを撮影中に事故を起こし骨折、入院してしまう。
番組はその第9話から本郷猛の声を声優(納屋六朗氏)があて
これまでの本郷の出演シーンを抜き出して何とか13話までもたし
その間にスタッフはその後どうするか会議をもった。
本郷が戦死するとか、「今日から主演が代わります」とテロップを入れて代役を出す
ショッカーにつかまり再改造で別人になるという案まで出るが
それでは藤岡氏が復帰できないということから
本郷猛はショッカーの別計画を追って日本を離れ、ショッカーにつかまり改造されたものの本郷に助けられた一文字隼人が2号ライダーとして登場するというストーリーになった。
一文字隼人役の佐々木剛氏は藤岡氏と同じ演劇学校の出身でライダー以前から友人同士
なので打診が来た時、佐々木氏は当時多忙だったこともあったが、友人の主役をとってしまうようで心苦しいと一度は断ったらしい
だがプロデューサーが藤岡を助けると思ってやってほしいと説得
ならば藤岡氏が復帰するまでという条件で引き受けたという。
これは後に藤岡氏が著書で
「本来なら私が佐々木氏にアタマを下げてお願いすべきだったのに、なんと筋のとおった男なのだろう」
と語ってる。
https://www.youtube.com/watch?v=-pG07J8XkQs
一文字隼人の2号ライダー編がはじまると番組の人気は一気に爆発
私事だが私は当時小学二年生で、帰ってきたウルトラマンとスペクトルマン(当時は「宇宙猿人ゴリ」)は初回から見ていたが
仮面ライダーは知らず、友人から教えてもらいはじめて見たのがこの第14話だった。
登場した一文字隼人はこれまでの、例えばハヤタやモロボシダンのような優等生タイプではなく、
むしろ後のマジンガーZの兜甲児やデビルマンの不動明のようなちょっとヤンチャなお兄さん的ヒーローの先駆けでとても憧れる存在だった。
「ちびまる子ちゃん」のさくらももこ(ちなみに私と同年代)も同じ気持ちだったようだ
9ヶ月後に藤岡弘氏が完治して復帰
その前、まだ藤岡氏が完治していない状況で出演したダブルライダー編が年明け1972年元旦に放送され大好評だったことから
番組スタッフはずっとダブルライダーで行きたいと考えてたが
佐々木氏はそれでは藤岡氏がゲストのままになる、復帰した以上主役は返すと言って52話で降板
当時の私はそんな事情があったとは知らなくて、新一号編になり一文字が出なくなったのにさびしい思いをし、たまにゲスト出演した時はものすごい喜んだ
佐々木剛氏はその後もライダーシリーズに時々ゲスト出演しながら、中堅俳優として活躍するが、
ある日とつぜん姿を消してしまう。
1982年2月15日未明、自宅のアパートが不注意で出火、火事を起こしてしまい佐々木氏ご自身も全身大やけどの重症を負い入院
入院して1年余りの間に5度の皮膚移植手術を繰り返しようやく退院するも、入院代から火事の賠償や家族の生活費の工面から多額の負債を負ってしまう。
やけどにより俳優活動は断念せざるえなくなり、声優として活動しようにもオーディションでことごとく落ちてしまう。
1983年秋撮影、翌84年正月放送のテレビスペシャル『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』にて佐々木氏は2号ライダーの声をあてるが
これもせめてもの仕事をということでアフレコさせてもらった。
佐々木氏は俳優を断念、警備員の仕事につき1日2回分計16時間勤務を2年ほど続け
焼き芋屋、さお竹売り、網戸の張替えなどの仕事を続け
荒れて酒浸りの日々を送り、一時はパチプロやさお竹売りの軽トラで寝泊まりするとかホームレス同然の生活を続けた。
1991年、親友の石橋正二氏と飲んだ席で舞台出演の誘いがきて、酔った勢いで引き受けたものの怖くなって逃げだし
ほとぼりもさめたかと思い戻ってみると舞台公演の自分の写真入りのチラシが出来上がってるのを見て、石橋氏に謝罪し舞台復帰する。
その後、日光江戸村の舞台劇「忠臣蔵」の吉良上野介役に抜擢される。
(ちなみにこの時江戸村の舞台を仕切ってたのがウルトラセブンのキリヤマ隊長役の中山昭二氏)
この頃、ファンの間で行方不明となってた佐々木氏がようやく所在が判明
ファンが江戸村に訪ねていった。
そしてファンから仮面ライダーのイベントに出演依頼を受け久々に藤岡弘氏と再会
一文字隼人は帰ってきた。
現在、佐々木氏は板橋区大山で「バッタもん」という居酒屋を経営
日本だけでなく世界中のファンが尋ねにきているという
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