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2021年03月21日08:06

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あの日の3月20日

曇天うす寒の昨日、次女ともみのお友だちのひめちゃんとすぐ上のお兄ちゃんの蓮れんくんとママそしてわが家からはともみと家内と僕のつごう6名で市内中央にあるはまぎん子ども宇宙科学館に遊びに行ってきた。

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これを子どもだましとあなどるなかれ。なかなか凝ったアトラクションが多彩であり実に面白かった。さて僕若い頃のむかし一度だけここに来たことがあると記憶しているものの、誰とどうして来たのか皆目思い出せないでいる。なぜだろう。

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そこそこの人出でありやはり若い家族連れが多かった。いちばん年寄りは僕ではなかったか。ここはおとなひとりで来ても楽しめるものの、僕のようなムサいおやじがひとりでのこのこ行ったものなら不審者と思われるのでやはりみんなで行くのがよかろう。とにかく童心に帰れた半日であった。

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休憩コーナーが狭いからと家内に教わったのでお弁当を簡単にしたが、けっこうガラ空きだった。お重でもよかったぞ。ともみにいちごくらい持って行ってやればよかった。なにぶんいいお出かけでした♡。

さいきんの旗日にならって昨日は3月20日ながら春分の日であった。世間ではお彼岸でもありお墓参りがさかんであったろうが、この日はあの日と昨日の紙面に小さな記事が掲載されていた。いまから25年前の平成7年のこの日はあの狂信カルト集団オウム真理教信者たちにより起こされた地下鉄サリン事件のその日であった。

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僕この日は朝から営業に出かけていてまだケータイの普及していない頃だったのでこの大事件を昼食場所に選んだラーメン屋のテレビで知った。実家から東京日本橋に通勤していた兄の安否をすぐに心配になったので、僕は急ぎ実家に電話して自宅でのんべんだらりとしていた母に対して檄を飛ばし急ぎ兄の会社に連絡して安否確認しろと強く命じたものだった。結果兄に影響はなく後に安堵したものだったが、かの大問題事件の日はいまでも記憶に残る恐ろしい一日だった。

そう。あの事件のあった日はお彼岸の真っ最中だったのである。あの連中にしてみれば仏教信仰のお彼岸など知ったことかということであったのだ。

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昨日ふと思いスマホで検索したのはお盆とお彼岸の違いはなにかということであった。検索したところ、ものすんごい長文で説明されており、画面上の文字の小さいのもあって全文読むのを即座に諦めた。なれど超概要だけかいつまんだ。

お盆はインドの地からヒンズー教伝来で伝わった風習であり、盂蘭盆会(うらぼんえ)がどうのと書かれていたが、つまりは仏教伝来の数千年前から由来する古式あらたかな先祖供養の風習である。
こなたお彼岸はというとお盆と比べて歴史はいささか新しく、日本古来の平安時代からの風習とあった。誰だか天皇の親族の急死を供養したのが始まりだとかあった。それが転化して現在のお盆同様の先祖供養の儀式となったようである。

まあいずれもご先祖さまをたいせつに供養するものだと心得ておけばいいかと思った。
お盆で思い出すことがある。小説からの一編だ。
お彼岸の春先に肝臓を傷めて入院した大酒のみの男性患者。腹に水が溜まってしまいなかなか抜けずにいるため夏休みの一時帰宅には間に合いそうにないと嘆いていた。そして男はひと言ぼそりとこう言った。

「これがほんとの腹水盆に帰らず」。

鬼才中島らも先生の傑作「今夜、すべてのバーで」からの引用であります。懐かしいねえ(*´ω`*)。
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