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2021年02月28日01:55

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確定申告を間違えました

確定申告して、還付金が振り込まれるはずなのに還付されない。

中々不安が募ります。

1月22日に税務署に出向いて申告書を提出して、その後に「国税還付金振込通知書」という葉書が来て、その葉書には「手続き開始年月日」として、「R3.2.10」と書いてあります。

ということは、2月15日頃には、申告書に記したりそな銀行の私の口座に振り込まれていなくてはなりません。それが15日になっても20日なっても振り込まれない。

段々不安になってきます。

ひょっとして、脱税の疑いを掛けられて、そのうち黒い背広を着て段ボール箱をたくさん抱えた国税庁の役人が、何十人もで拙宅を訪れ、テレビカメラが何台も撮影する中で、私は巨額脱税犯として日本全国に顔を知られてしまうのではないか。

パソコンも押収されて、インターネットでエロ画像を見た閲覧記録なども全国紙の一面トップに載ってしまうのではないか。

一度そうなってしまえば、調べた上で実は脱税していないとわかっでも、

「あいつも今回はうまく逃げおおせたなぁ」

とか、

「まぁ、火のないところに煙は立たないというからねぇ」

なんて、近所にあらぬ噂が立たないとも限りません。

現に私のマイミクたる奥住公一(つるりん)が働く寿司店が、数年前に脱税容疑で役人に押しかけられ、領収書一枚一枚をすべて持ち去られて調べられて社長がすっかり憔悴してしまったこともあります。

だからといって、放っておけばこのまま一銭も還付されないことにもなりかねませんから、それも嫌です。

さてどうしたものか、と思ってもう一度、件(くだん)の葉書をじっくり見ると、還付金が振り込まれるべき私の口座番号の上に書かれている預金種別が、なんと「当座預金」と書いてあります。

商売をしている人ならおわかりでしょうが、当座預金は小切手による決済をするための預金種別であり、個人名義ではなかなか開設できるものではありません。

ちっ!税務署が間違えやがったな!と思って、申告書の控えを見ると、なんと私が自分で間違えて、普通預金に○を付けるべきところを、当座預金に○を付けてしまっていたのでした。りそな銀行どころか、どこの銀行にも当座預金口座なんて持っていませんから、道理で振込が為されないわけです。

あわてて、申告書の控えと「国税還付金振込通知書」の葉書を持持って、22日に北千住の足立税務署に行って、預金種別を間違えた旨を告げたところ、よくある間違いらしく、税務署の職員は慣れた調子で修正してくれました。

確定申告書を提出する際には、間違いがないかを税務署の職員が一応チェックしてから受理するのですが、先述したように個人名義で当座預金口座を開設する人などいないのですから、そこを気付いて欲しかったです。

もちろん、自分で当座預金に○を付けた私が一番わるいことは言うまでもありません。

***************************

さて、税務署で申告書を修正しての帰り道。ホッと一息で、時間もあったので、北千住から綾瀬までの一駅分を歩いて帰ることにしました。

都心の電車の一駅とはいえ、荒川を渡る鉄道の鉄橋と、歩行者が通る日光街道(国道4号線)はかなり離れているので、男の足でも45分ほどはかかるでしょうか。

荒川沿いの足立区立図書館で厠を借りて荒川を渡ると、そこにあるのは足立区のホームレス仲間には有名な「大栄商会」。

ここは空き缶を一個2円で買い取ってくれますから、五百個集めれば千円になります。皆様も失職したときのために覚えておくと良いです。

すぐ近くに「珍来」という小さくて汚くて旨いラーメン屋さんがあります。

そこで湯麺と餃子を食べて、拙宅のある綾瀬に向かって歩き始めました。

しばし歩くと東武伊勢崎線の線路をくぐります。そこで思い出しました。

東武伊勢崎線は、そこから五分ほど小菅(こすげ)に向かって歩くと国鉄常磐線と交叉します。

東武線が上、常磐線が下の交叉です。

ご年配の皆様はもう思い出したことでしょう。

昭和24年7月5日に失踪した国鉄の下山定則総裁が、東武伊勢崎線の線路から国鉄常磐線の線路に投げ落とされて、深夜の貨物列車に轢かれて轢死体となって翌6日に発見された、あの「下山事件」(註)の場所です。

私のマイミクでは、おそらくFORREST様だけが、そのニュースをリアルタイムで聞いた記憶がおありかと思います。

結局東京オリンピックが開かれた昭和39年7月6日に、殺人事件としての公訴時効が成立し、未解決事件となったのでした。

たしか、下山事件の記念碑があったはずと思って現地に行ってみると、ありました。

おめでたい記念ではありませんから、事件を忘れないための「追憶碑」となっていて、供花と線香の残骸がありました。誰かが貼った下山総裁の写真も貼りついています。

下山総裁は自殺か他殺か。生きている下山総裁を東武線の線路から国鉄の線路に突き落として貨物列車に轢き殺させたのか、それともあらかじめ殺害してから東武線の線路に担ぎ上げて国鉄の線路に落として貨物列車に轢かせ、証拠隠滅を図ったのか。

すべてが謎のままに迷宮入りとなった気味の悪い事件です。

昭和24年は、GHQが 対日政策をそれまでの「民主化」から「反共の砦(とりで)」に転換した時期に当たります。高インフレの経済を立て直すことを急ぎ、いわゆるドッジ・ラインに基づく緊縮財政策を実施するために、昭和24年6月1日には行政機関職員定員法を施行し、全公務員で約28万人、国鉄に対しては約10万人近い空前絶後の人員整理をせまった時期です。

この年の衆院総選挙では、日本共産党が4議席から35議席へと大躍進。共産党系の「全日本産業別労働組合会議」や「国鉄労働組合」がその余勢を駆って人員整理に対し頑強な抵抗を示しており、国鉄人員整理の当事者として労組との交渉の矢面に立った下山総裁は、事件前日の7月4日に、国鉄職員30700人に対して最初の解雇通告を行っていました。

彼を恨む人の中に、鉄道に詳しく、高架線路への入り方を知っており、また貨物列車の運行スケジュールまで把握している人が大勢いたことは確かです。

この事件のあと、立て続けに「三鷹事件」「松川事件」が起こり、下山事件と併せて昭和の三大事件と言われるわけですが、すべて気持ちの悪い事件です。

税務署の手続きを終えて、ホッとしてラーメンを食った幸福感はどこへやら、当時の殺伐とした世相を感じつつ、そこから10分ほど歩いて帰宅しました。

還付金は、25日にめでたく私の口座に振り込まれました。

(註)若い人は下山事件を知らないと思います。85歳以上のお爺様やお婆様に聞いてみてください。年寄りと同居していない人は、以下を参照して下さい。読むのが大変ですけれど。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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