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2021年09月23日22:31

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天秤

下品な話ですまないな。
こっちはなんとかやっている。
あれもこれもやっている。
俺、ずっと考えてた。
何故どちらかが死ななきゃならないのか。
生と死。
どうやら俺は生の方らしい。
何度となく死にかけた。
消されかけた。
stillitimiyaの奴等にだ。
あいつらが俺に連絡してきたのは確か夜中だった。
俺はその頃、スロットで日々の生活を賄っていた。
Young Gから電話があった。
元気ですか?
ちょっと、甲州夢街道歌ってくださいよぉ。
俺はあの夜。
田我流がDJ KRUSHと会ったと聞いたあの夜。
それは、田我流が吉祥寺のMCバトルに出た時の事らしい。
DJ KRUSHが審査員として来ていたらしい。
日本人だね?って言っていたと聞いた。
その日、俺はDJ KRUSHのレコードを持って彼らのライブに乱入しようと来ていた。
Young Gに、これかけて、どこか音切ったりして。
とだけ説明した。
彼らのライブを見て、S5Mがブースにはいた。
派手な銃声が何発か鳴った。
俺は持っていたレコードを渡した。
Young Gにレコードをかけてもらう。
彼は面倒くさそうに針を置いた。
スピーカーからは、こだま和文の吹くトランペットが鳴り出した。
俺は、そこにいるのか?
と、ラップした。
それで俺のライブは終わった。
そしてフロアに来ていた外国人2人がサイファーをしていた。
俺はそこに混じり、ラップした。
彼らは耳を傾けてくれていた。
その後、彼らに誘われるまま、彼らの車に乗った。
何人も乗っていた。
彼らのクルーのDJを紹介してくれた。
DJ YOとMIX CDを渡された。
パイプが置かれていたので、俺は持ってきていたチャラスを振る舞った。
彼らは、悪いねぇ〜。とか言いながら吸い込んだ。
一吸いするといなくなっていく。
その間もDJ YOはビートをキープしている。
俺は、YO! YO!! YO!!! YO!!!!とラップを蹴り出した。
すると、ひとりの外国人が何故か止める。
俺は何故か分からずにいた。
そこでDJ YOの出すビートに俺はフリースタイルしていった。
何小節かラップを蹴っては、チャラスを吸い込む。
そして、またラップをキックする。
そんな事を2時間弱繰り返していた。
俺がラップを蹴り出そうとした。
7日間越えた8日目の今日、とラップをキックした。
突然、外国人が、死んで!殺して!と言って車から降りた。
俺は困ってしまったが、気にせずにチャラスを吸い込み、ラップをキックし続けた。
ひとしきりキックしてから、煙草に火をつけた。
DJ YOはビートの上をQY70でピアノを弾いていた。
俺は、思わず、それ、今やってるんですか?
と聞いた。
だって、俺の耳にはDJ YOが弾いている指の動きと鳴っているピアノが違っていたから。
DJ YOは弾くのをやめた。
ビートが止まった。
俺は、俺のフリースタイル、どうでした?
と聞いた。
YOは、俺、アジアとか回ってるけど、そんなにいないと思う。
今、デビューしてる奴等だって出来ないよ。
と、俺は嬉しくなり、
マジっすか?と言った。
マジだよ。
そこで俺は、ブルースって何ですか?
と聞いた。
YOは、巻いて!と言った。
俺は、紙持ってないです。と言った。
するとYOは、なめないでねっ!!!と怒鳴った。
俺は何故怒られたのか分からずに、固まってしまった。
そして車を降りた。
そこに持ってきていたDJ KRUSHのZENのレコードと
もらったDJ YOのミックスCDを置いたままで。
車を降りると女の子が、クラッシュさん、悔しそうだったよ!
って言っていた。
その後、俺は、仲間のラッパーに言った。
俺、DJ KRUSHとセッションしたよ。って。
だって、DJ YOはDJ KRUSHだと思っていた。
それは未だに正解だったか分からない。
あの夜から、ラップをやめていた。
仲間にはDJ KRUSHとセッションしたなんて言ったから、頭がイカれたと思われていた。
俺は、1人でスロットで生活していた。
たまに会ってもなんか後ろめたさを感じながら。
だってさ、俺は精神病者。
そうレッテルを貼られていたから。
そんな中、Young Gから電話がかかってきた。
周りにはイチミヤの面々がニタニタ笑いながらいた。
MMMに変わった。
彼も笑いを堪えている。
俺はそれでも電話越しに甲州夢街道をキックした。
だが、もう忘れている。

甲州夢街道2001 あえて選んだイバラの道
4本マイク照らす次の位置 俺達の可能性常に未知

と何度かキックしたと思う。
わかりました。
ありがとうと言われたかどうかは覚えてない。
だが、どっちでも良い事だった。
そして、また同じ日々の繰り返しだった。
時代は4号機から5号機に移り変わる頃。
また電話がかかってきた。
KTYからかかってきた。
KTYの家に行った。
どうぞ。とバッツを差し出された。
俺は久しぶりのバッツが嬉しかった。
今までは仲間に間に入ってもらい引いていたが、大麻精神病なんて勝手に決められてからはまったく吸ってなかった。
吸いたいと思ったが、どうも吸えるわけがない。
だから、燃えカス、パイプに付いたタールを集めて、再び火をつけたりしていた。
俺はその頃の貯金100万円ほどをスロットで稼いでいた。
それでKTY(カイト ザ ヤイバ)に聞いた。
引ける?
引けますよ。
思えばそこからがもう彼らの手の中で踊っていただけなのかも知れない。
そこからの日々は、初めは良かったが、だんだんつまらなくなっていた。
それでも吸っていなければならない、なんて思っていた。
仲間の結婚式があったのはその頃だ。
そこで久しぶりにあった仲間(MANZO)が、出会い頭に訳もわからず、二次会かなぁ。なんて言っていた。
俺は2次会でカラオケを歌った。
俺が歌うと消される。
それを繰り返していた。
俺は嫌になり女の子と話をしていた。
女の子はみんな何も話さない。
一方的に話す俺。
少しボディタッチをしたんだと思う。
そしたら、それを新婦に告げ口された。
それを仲間が俺に言ってきた。
お前、女に手を出したのか?
俺は、大丈夫だよ。
と、言ったら、いきなり、
テメエ、聞いてんのか!
と殴られた。
そして、みんなして俺をリンチした。
俺はGON(ラッパー仲間)に話した。
GONはただ聞いていた。
そんな事があった。
そんな事が起こる前にDJ KRUSHに会った。
あれは、2009年の年末。
大阪の I to I というクラブ。
俺は何を話していいか分からなかったが、記憶のプロモ盤持ってます。と言った。
そして、聞きたかった事を思い切って聞いた。
JAZZ 何を聞いていますか?と。
クラッシュは、王道だよ。と教えてくれた。
それから何ヶ月後か、地元のカフェ。
本人に言わせると喫茶店。
そこに近藤等則さんが来た。
俺はその時、何故かライブに間に合わなかった。
会場のカフェに着くと、もう終わっていた。
その後、CDを買う時にメールで少し話した。
自然の中で吹きたいな。って言っていた。
それは、訃報の1〜2ヶ月前だった。
いつか会える。
ここで。この世界で。
俺は今でもそう信じている。
ああ、JAZZと言えば、チック・コリアも来てくれた。
僕が友達のカフェでDJするという日だった。
結局その時はDJしなかったが、レコードボックスには
Return To Foreverが何枚も入っていた。
チック・コリアも僕に優しくしてくれた。
僕がピアノのインプロビゼーションをしていると、全てはインプロビゼーションから始まる。なんて、ワークショップを開いていた。
そして、インプロビゼーションを表現していた。
あれは、今、思い出せば、DJ YOが弾いていたものだった。
聞こえてきていたピアノとは別の。
俺が見ていた指の動きの音だった。
その何週間後かの訃報だった。
彼にもいつか会える。
ここで。この世界で。
そう信じている。
この話は約1年ほど前の事。

ここ、1週間でDJ SHADOWのトラックでラップを何曲か書いた。
最新作のOur Pathetic Ageの中からも一曲かいた。
傾きっぱなしにされていた俺の人生だが、やっと、平行を保てたような気がしていた。

あ、イチミヤは、俺とつるんでる時、それじゃあ蛇の道じゃん!なんて訳分からない事を言っていた。
今思えば、その時から俺の事は殺そうと思っていたんだろうな。
俺は結局、よくあるドラッグを追い求めて、そのまま逝っちまった。みたいにされるところだった。

今なら良く分かるよ。
お前らがJAZZを知らなくて良かったと。

今日も回ってるターンテーブル。
ミキサーに刺さっているSM58。
俺はこの音と言葉しか持っていない。
後は煙の中で息をするともうとっくに決めた。
もう後悔はなしだ。
やっと差した光明。
どれだけ闇を見つめたと思う?

お前らじゃ無理だよ。
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2021.09.23
22:23

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