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2020年11月25日08:35

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●日本の婚姻の歴史

●日本の婚姻の歴史
◆古代日本の婚姻と家族:母系社会と通い婚 - 日本語と日本文化
https://japanese.hix05.com/Folklore/Sex/sex01.old.html
古代日本の婚姻と家族:母系社会と通い婚.
古代日本における婚姻と家族のあり方が、近年まで支配的であった嫁取り婚、つまり女が男の家に嫁ぐといったあり方とはかなり様相を異にしていたことは、文献その他を通じて広く理解されるようになってきた。
古代日本における婚姻の基本は、男が女を見初めて女のもとに通う、あるいは女の家族が男を迎え入れるといったことを基調としていた。つまり女を中心として婚姻が成立していたのである。
 
◆妻問婚 - Wikipedia    https://ja.wikipedia.org/wiki/妻問婚
妻問婚(つまどいこん)とは婚姻の一種で、夫が妻の下に通う婚姻の形態のこと。招婿婚ともいう。
女系制の伝統のある社会など母権の強い民族に多く見られる婚姻形態で、普通、子は母親の一族に養育され、財産は娘が相続する。
かつてこうした婚姻形態を持っていた民族として有名なのは、インド南部ケララ州に住むドラヴィダ人、高句麗、古代の日本人など。
『後漢書』によると、高句麗では、婚姻は妻問婚で、子供が成長した後に夫の家に連れ還ったという。
 
◆ 日本らしさ、日本人らしさを方向づけた母系家族の由来とその様相
https://cds190.exblog.jp/24663664/     2016年 09月 20日
日本人の家族形態の特徴である「母系家族」の由来と経過
今日の学説としては、日本人は家族形態は非単系の出自の辿り方をする「双系制」とされている。
それを踏まえて上で、
日本らしさ、日本人らしさを、外国や外国人にはない独自性として捉えると、
それは「双系制」において出現した「母系家族」に集中的に見られると考える。
本論は、そういう観点から以下、雑感を羅列していきたい。
 
◆KAKEN — 研究課題をさがす | 古代日本の双系制に関する研究 ...
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-25370748/
2019/07/29 基盤研究(C) 名古屋大学  胡 潔 名古屋大学, 人文学研究科, 教授
研究成果の概要
本研究では、蔭位制など律令官人制を軸にして形成された父系観念の形成過程を歴史的に考察し、その外来的、人為的な性格を明らかにすると同時に、居住面では訪婚、妻方居住、独立居住の三形態が内的連続性を持って段階的に移行し、夫方居住は不在であったことを明らかにした。古代日本社会に見られる制度上の父系的偏向と居住上の母方偏向は、父系社会の観念、制度が移入された後に現れた双系社会の反応であり、一種の複合的文化現象として捉えられる。
 
◆結婚の形態の歴史|婚礼の知識|冠婚葬祭の知識|結婚式・ご ...
http://u-b.jp/knowledge/bridal/yomi-konrei-3.htmlこれが母系氏族制の始そもそも原始時代は、男女が気ままに結婚する「共同婚」が行われていました。はじめは族内で行われていたのが族外にも広がり、生まれた子は母のもとで育つようになりました。これが母系氏族制の始まりで、やがて男側が女側に通う「妻問婚」の形態に発展したと考えられます。古墳時代にこの「妻問婚」が行われていたようで、”ツマドイ“の語は、古事記や日本書紀、万葉集などの書物にみられます。
 
◆『源氏物語』と平安時代の婿取婚   胡 潔
file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/4_9-17.pdf
ただいまご紹介いただきました胡潔です。私は平安文学を専門としていますが、研究を始めた当初から文学作品の背景にある婚姻習俗や家族形態に強い関心を持っていました。文学に描かれた結婚、登場してくる女性達の地位をめぐる解釈について考え、当時の結婚の儀式、居住形態、人物呼称などの問題について解明を進めていくと、今度は古典解読の問題として、当時の註釈書に引用されている中国の妻妾制度がそのまま平安時代の女性の地位を説明できるかどうか、また史料の問題として、古代日本の漢字文献にある、父系的、娶嫁婚的な記述をどう読み解くのか、といった問題へと広げていきました。
 
◆日本婚姻史   高群逸枝
http://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/takamureitue/nihon-koninshi-a5a.pdf
はしがき
日本婚姻史はおどろくべき内容と意義をもっている(序説参照)。
日本婚姻史を研究したいと私が思い立ったのは、厳密にいえば私がまだ田舎の女学生だった頃、『古事記』、『万葉集』、『伊勢物語』、『大和物語』、『かげろう蜻蛉日記』、『落窪物語』、『宇津保物語』、『源氏物語』、『枕草子』、『栄花物語』、鏡もの、『今昔物語集』、『愚管抄』、『平家物語』等を読んで、そこにあざやかに描かれている婿取式婚姻制を知ったときからだった。
私はこの異様な婚姻制の歴史的究明こそが日本婚姻史自体を究明する鍵になることを直感したが、それは少女の私にとってあまりに大きな夢のような課題だった。
一九五三年五十九歳で、私はようやく『招婿婚の研究』を著わして、初志を貫徹した。
その後私はたびたび日本婚姻史の執筆をすすめられ、自分もその必要と義務を感じていたけれど、すぐに『続・招婿婚の研究』に没頭しなければならなくなったので、その機会がなかった。その方の目鼻もいくぶんつきかけてきたし、たまたま至文堂の「歴史新書」に誘われ、それらが幸いして今日つい遂にこの書が成ったことはよろこびにたえない。昭和三十八年四月
 
◆婿取婚     https://ja.wikipedia.org/wiki/婿取婚
婿取婚(むことりこん)とは、日本の民俗学において日本婚姻史にみられるとされる対偶婚の一種。婿取婚は広義には妻問婚を含むが、狭義には婿取儀式によって始まる婚姻をいう。婿取式婚姻または招婿婚ともいう。
高群逸枝などの学説では、日本の婚姻史は婿取婚から嫁取婚、嫁取婚から寄合婚へと変遷したと分析されている。なお、対偶婚は身柄や生活の根拠を各自の氏族に置いたままの婚姻であり夫婦関係の結合が弱く離合も比較的容易という特徴がある。
 
◆嫁取婚 | 冠婚葬祭の歴史
https://kankon-sousai-history.net/kekkon/yometorikon/
「嫁取婚」は、平安中期に誕生した「婿取婚」が、鎌倉時代に移行した結果です。
これにより、母系製から、父系製へ大きく転換した事を意味しています。
平安時代の後期から、鎌倉時代にかけて、これまでの形態から、武家社会に移行した事により、生まれた結婚の形です。
武家社会になると、それまでの個人から、「家」が社会の基礎になりました。
税金も、個人にかけずに、家単位で税を負担するようになりました。
 
◆日本婚姻史12 寄合婚〜明治大正昭和 - 共同体社会と人類婚姻史
http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/08/423.html
一 寄合婚のめばえ
・寄合婚というもの
寄合婚とは、母系型でも父系型でもなく、男女が平等な人格と権利をもって自由結合する個人型の一夫一婦制をいう。欧米ではすでに数世紀を経過した形態だが、日本では明治から萌芽が見られ、昭和憲法以来表面化の過程にある。
婿取式は氏族が保障し、嫁取式は家が保障し、寄合式は社会が保障することで結実するが、社会保障は欧米においてもいまだ完備にはほど遠い。
・明治の一夫一婦主義
維新政府は全面的に西洋文明を受け入れ、明治6年(1873)には、福沢、津田、西、森などによって明六社が組織され、西洋近代思想を普及した。一夫一婦主義もその一つ。福沢諭吉は、両性の不平等を最も痛切に論難し、女性の独立と自由解放を主張した。「日本婦人論」「男女交際論」「女大学評論」などをあらわした。


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