mixiユーザー(id:7904198)

2020年11月09日14:27

142 view

とろとろ日記313「機上の空論」

■菅首相、バイデン氏に祝意=「日米同盟を強固に」―1月訪米探る、対中姿勢注視
(時事通信社 - 11月08日 08:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6298263

菅「まさか、あなたが当選するとはね。おめでとうございます」
バイデン「、、、、それだけですか?お祝いの言葉は?」
菅「申し訳ない。他にお祝いの言葉を知らないもんだから」
バイデン「まあ建前の言葉をやりとりしても仕方ありません。お互いの本音で今後の日米関係や人生観について語り合おうじゃありませんか。ぜひ訪米していただきたい」
菅「いやいや、それはお断りです。私は外交についてのプランや戦略を持っていないし、それを語る自分の言葉さえ持っていませんから」

バイデンは勝利宣言で「分断ではなく団結を」とか「多数派の少数派への責任」とか「アメリカ国民全体の大統領を目指す」とか公人としてのありきたりで普通のことしか語らなかったがこの国の首相は嘘と出鱈目しか語らない。その落差に愕然とする。

ショートショート作家の田丸雅智と漫画家のしりあがり寿の対談番組を見ていたら
「SSの核というのは原体験や原風景の共有ではないか」と田丸が言っていた。
作家が見つけ出したり思い出したりした原体験や原風景を作品として提示し読者がそれを見て共感する。そこに感動や詩情が生まれるのだという。
いまちょうど奉灯句の世話をしていて俳句を見たり自分でひねったりもしているのだが、俳句にもこの構造があるというか、一番はっきり出ているのではないかと思う。その仕掛けが季語ということだが今の暮らしに直結する季語というのはほとんどない。生活風習などについてはほぼ死語となっている季語がたくさんある。自分の世代ならかろうじてイメージできる風習や生活道具でも今の若い世代にはなにがなんだか想像もできないだろう。実態のない古めかしい季語からは実感のある原体験や原風景の俳句は作れない。今の時代の俳句は実感の伴わない机上の小手先芸になってしまっているのではないか。そんなことを思いながら見ていた。

田丸によるとショートショートには作品の作り方というのがあって、一つに違う言葉を二つ組み合わせてその違和感や納まりの悪さを膨らませていくというやり方だそうだ。書き込み過ぎた小説に比べるとショートショートには余白や隙間が多いので読者の想像が入り込みやすい。違和感やぎこちなさがそこを刺激するのだという。脈絡もない二つの言葉の出会いというのはロートレアモンの詩で使われたディペイズマンという手法だ。マグリットの絵にもよくでてる。

二つ目は同じイメージを持つような絵を二つ重ね合わせて、そこに立ち上がってくる揺らぎのようなものの中にまた別のイメージを湧き立たせてのそこに新しい感動を想起させるような手法。これは言い換えてみればフロッタージュの技法に違いない。ディペイズマンとフロッタージュというどちらもシュールリアリズムどの技法がショートショート作りに使われているというのが面白かった。もう一つあったのだけれどそれを思い出せない。ひょっとしたらオートマティズムという自動記述だったのかもしれないがおそらく違う気もする。

助手の声優しや菊の歯科医院   一象
3 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年11月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930