元々は自動車のセールスマンとして好成績を上げていたのに、その地位を捨てて上京。
植木 等さんの運転手・付き人として何年も下積みし、ある日植木さんから、
「社長に、タレントとして契約してやってくれって頼んどいたから。だから、もう(運転手として)こなくていいよ。」
と言われ、思わず運転中の車を路肩に停めて、大泣きしたとのこと。
その後は、淀川長治さんのモノマネや「しらけ鳥音頭」などで人気を得て、更に伊東四朗さんと組んでの「電線音頭」も大ヒット。
(ちなみに、伊東さんは「電線音頭」の時には「ベンジャミン伊東」と名乗っていました。)
最近では俳優としての活躍も目立ちましたが「自分はあくまでコメディアン」という自負を、ずっと持ち続けていたそうです。
謹んで、ご冥福をお祈りします。
小松の親分さん、長年みんなを楽しませてくれた、アンタは偉い!
コメディアンの小松政夫さん、12月7日に死去
「しらけ鳥音頭」で一世風靡・78歳
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6339414
ログインしてコメントを確認・投稿する