mixiユーザー(id:60027620)

2020年10月25日05:33

15 view

10月25日

米軍海兵隊などがグレナダに侵攻。ソ連寄り政変に対する危機感から:1983年のこの日。グレナダ侵攻(Invasion of Grenada)は、1983年にカリブ海に浮かぶ島国グレナダでクーデターが起きた際、アメリカ軍および東カリブ諸国機構(OECS)および、バルバドス、ジャマイカの軍が侵攻した事件である。10月25日午前5時に開始されたグレナダへの侵攻は宣戦布告は行われず、アメリカにとってベトナム戦争以来初の大規模な軍事行動となった。アメリカ軍によってこの作戦は「アージェント・フュリー(Urgent Fury、押さえ切れない憤怒)」と命名された。攻軍の総計はアメリカ軍から7,300名、OECS諸国などの軍から353名が投入された。アメリカはレンジャー部隊、ネイビーシールズ、デルタフォースなどの特殊部隊、海兵隊など7,000人以上の部隊が参加している。グレナダ側にはグレナダ兵約1,500人およびキューバ人約722人(高度な軍事訓練を受け武装した「建設労働者」、および軍事顧問。人数は1,500人程度とも)。このほか、グレナダ国内にソ連、北朝鮮、リビア、東ドイツ、ブルガリアから来た60人ほどの顧問がいた[13]。 シールズがポール・スクーングレナダ総督救出と通信基地破壊を実施、陸軍レンジャー部隊と海兵隊等がパールズ空港とキューバ兵が建設中であったポイント・サリンス国際空港占拠、及びアメリカ人医学生らの救出を行った。グレナダ各地で戦闘が行われたが、圧倒的な兵力のアメリカ軍は政府関連施設、空港、大学などの拠点を次々制圧した。戦闘は数日間続き、アメリカ軍は19名が死亡、116名が負傷し、グレナダ側では兵士45名、民間人は少なくとも24名が死亡し、兵士358名が負傷した。また、キューバ人は24名が死亡、59名が負傷し638名が捕虜になった(それぞれの人数については資料により若干の違いがある)。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、グレナダで作戦行動をとる海兵隊のCH-53 シースタリオンとZU-23-2対空機関砲。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する