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2020年08月29日20:04

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少女漫画 Tweetコピペ記録

多分発端付近のバカ野郎のTweet

女性漫画家が育っていない理由が男尊女卑で男女平等でなかった。
私はAIとかが専門で、漫画家の歴史に興味がない。ただ男女差別がありそうだからなくなってほしい。
男女差別の根拠として、雑誌の読者の性別、作者の性別を使いたいだけ。感覚ではなく数値で出したかっただけなんですけどね。では
午後11:13 · 2020年8月27日·Twitter for Android


弓月 光 氏(Tweet順番バラバラ)

【女性漫画家が育っていない理由が男尊女卑で男女平等でなかった。】
全然違います。作品として雑誌に載せられるものを描ける女性が圧倒的に少なかった、と言うだけです。のちに石森章太郎の「漫画家入門」が出たあたりから女性作家が台頭して、1970年代以降から男性作家は排除されていきます。

そちらは昭和48年発行で、石森さんの「マンガ家入門」(カタカナでしたか)は昭和42年です。24年生まれが18歳位と言うことで狙い撃ちみたいな本でしたね。

ワタシが少年誌青年誌に移ったのはすでにデビュー10年あたりですので、少女誌の新人原稿料(1967年で1P1,500円だったかな?割と早めに2,000円になりました)と少年誌のソレを比較できません。10年経ったら物価も違ってますしね。
60年代末32P描いて6万円くらいなら結構生活できたはずです。

親の反対を振り切って上京(ネットのない昔は地方で漫画を連載するのは大変なことでした)するのは男性女性でそうそう変わりはなかったはずです。そもそも「漫画家」なんて食えるかどうかも親御さんにはわからない職業でしたし。

そもそも戦後ちょっとの少年少女には「どうやって漫画を描くか?」の知識が得られません。白い紙に黒いインクか墨汁で、セリフは鉛筆で、ということすら知り得ない情報だったのです。「漫画の描きかた」「漫画家入門」が出版されるまでは。

ええ、そして何も情報がない地方の少年少女に「漫画の描き方のノウハウ」を教えてくれたのが「漫画家入門」でした。

昭和36年の「なかよし」12月号です。
男性作家が(多分)10人おられます。

里中さん以前に若木書房の「若草」「銀河」等の少女向け貸本誌からポツポツと生まれ始めてはいました。八代まさこさんなんかを目標に。

赤塚さんも藤子さんも石森さんも沢山の少女漫画を描いてらっしゃいます。

昭和30年代の少女漫画雑誌の描き手の半分位は男性作家でしたよ?
40年代少女誌でも高橋真琴さん(男性)が表紙を飾ってらっしゃいました。

本気でやりたいと言うのならやらせますし(その場合家族計画みたいなものは当然変更しますね)何より同期の女性漫画家達は漫画一本に打ち込んでいる方々ばかりでしたよ?

御紹介ありがとうございます。やはり昭和30年代だとここに書かれているくらいの少数の女性作家しかいませんでしたね。で、その方々の作品が当時の少女たちの一部に「私も」という影響を与え出したわけです。






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