mixiユーザー(id:1904053)

2020年08月08日09:48

91 view

「運命」

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
サイモン・ラトル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


かんち自身の解説

「運命」に何か私自身の解説を付けられようか、とも思いますが・・・・・

「運命」という標題は実は日本だけで、海外では単なる第5番としか表記されない作品ですが、それにしてもよくぞ日本人は「運命」という標題を独自につけたなあと思います。どこから見ても、その標題にまさにぴったりな作品ですから。

とはいえ、実際に聴きますと、実に繊細な作品でもあることに気が付かされます。第2楽章と第4楽章の、ともに長調の部分にそれを感じます。意外と強迫一辺倒ではないんです。そしてそれがまた、人間の精神を反映しているようにも聴こえ、感動します。

そんな第5番を、今回は様々迷った挙句、ラトル指揮ウィーン・フィルでお楽しみいただきたいと思います。激しさと繊細さを兼ね備える、現代の名演だと思うのですが、皆様はどう聴かれますでしょうか?

***************************************

交響曲第5番 ハ短調 作品67(こうきょうきょくだい5ばん ハたんちょう さくひん67)はベートーヴェンの作曲した5番目の交響曲である。日本では一般に「運命」と呼ばれ、クラシック音楽の中でも最も有名な曲の1つである。

ロマン・ロランの評するいわゆる「傑作の森」の一角をなす作品である。この作曲家の作品中でも形式美・構成力において非常に高い評価を得ており、ベートーヴェンの創作活動の頂点のひとつと考えられている。

ベートーヴェンの交響曲の中でも最も緻密に設計された作品であり、その主題展開の技法や「暗から明へ」というドラマティックな楽曲構成は後世の作曲家に模範とされた。

なおピアノソナタ第23番『熱情』などが、主題や構成の面から関連作品と考えられている。

本交響曲は、日本では『運命』または『運命交響曲』という名称で知られているが、これは通称であってベートーヴェン自身による正式な命名ではない。

この通称は、ベートーヴェンの弟子アントン・シンドラーの「冒頭の4つの音は何を示すのか」という質問に対し「このように運命は扉をたたく」とベートーヴェンが答えた(後述)ことに由来するとされる。しかし、シンドラーはベートーヴェンの「会話帳」の内容を改竄していたことが明らかになっており、信憑性に問題がある。

学術的な妥当性は欠くものの、日本では現在でも『運命』と呼ばれることが多い。海外においても同様の通称が用いられることがある[2]。こうした事例は本作に限ったものではなく、他の作品にもある。詳細は「交響曲#交響曲の番号」、「交響曲の副題」を参照のこと。

交響曲第3番『英雄』完成直後の1804年頃にスケッチが開始されたが、まず先に交響曲第4番の完成が優先され、第5番はより念入りにあたためられることになった。そのほか、オペラ『フィデリオ』、ピアノソナタ第23番『熱情』、ラズモフスキー弦楽四重奏曲、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲第4番などを作曲した後、1807年から1808年にかけて、交響曲第6番『田園』と並行して作曲された。

ロマン派的な標題音楽の先駆けとも言われる第6番とは対照的に、交響曲第5番では極限まで絶対音楽の可能性が追求された。この2つの交響曲はロプコヴィッツ侯爵とラズモフスキー伯爵に併せて献呈された。

楽譜の初版は1809年4月にブライトコプフ・ウント・ヘルテル社より出版された。同年中の増刷においても若干の修正が加えられた。

1808年12月22日、オーストリア・ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場にて「交響曲第6番」として初演。現在の第6番『田園』は、同じ演奏会で第5番として初演された。

初演時のプログラムは以下の通りであった。

交響曲第5番ヘ長調『田園』(注:現在の第6番)
アリア "Ah, perfido"(作品65)
ミサ曲ハ長調(作品86)より、グロリア
ピアノ協奏曲第4番
(休憩)
交響曲第6番ハ短調(注:現在の第5番)
ミサ曲ハ長調より、サンクトゥスとベネディクトゥス
合唱幻想曲
この演奏会の記録によると、当日は「暖房もない劇場で、少数の観客が寒さに耐えながら演奏を聴いていた」とされている。

コンサートのプログラムは交響曲を2曲、ピアノ協奏曲、合唱幻想曲、全体で4時間を越えるという非常に長いものであって、聴衆や演奏家の体力も大きく消耗したこともあり成功しなかった。さらに、第1部で演奏されるはずであったアリアは、出演予定歌手が演奏会当日に急遽出演できなくなり、代わりの歌手が緊張のあまり歌えなくなって割愛された。また第2部のフィナーレを飾る合唱幻想曲も演奏途中で混乱して演奏を始めからやり直すという不手際もありコンサートは完全な失敗に終わっている。

交響曲第5番は初演こそ失敗に終わったが、評価はすぐに高まり多くのオーケストラのレパートリーとして確立されていった。また、後世の作曲家にも大きな影響を与え、ヨハネス・ブラームス(交響曲第1番で顕著)やピョートル・チャイコフスキー(交響曲第4番、第5番で顕著)といった形式美を重んじる古典主義的な作曲家ばかりでなく、エクトル・ベルリオーズやアントン・ブルックナー、グスタフ・マーラーのような作曲家も多大な影響を受けている。

ベートーヴェン以降は「第5」という数字は作曲家にとって非常に重要な意味を持つ番号となり、後世の交響曲作曲家はこぞって第5交響曲に傑作を残している。とりわけブルックナー、チャイコフスキー、マーラー、シベリウス、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ヴォーン・ウィリアムズのものは特に有名であり名作として知られている。

ベートーヴェンは交響曲第5番で、史上初めて交響曲にピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンを導入した。当時の管弦楽では「珍しい楽器」だったこれらの楽器がやがて管弦楽の定席を占めるようになったことを考えると、後の管弦楽法に与えた影響ははかり知れず、この点においても非常に興味深い作品であるといえる。

自筆譜の最初のページにはBASSIと書かれたパートが、BASSOに訂正されている。これはヴィオローネではなく、コントラバスを指定したことを示す。当時の調弦はC-G-Dの三弦であり、初演に加わったドメニコ・ドラゴネッティの名人芸抜きには、この作品は成立しなかったといっても良いだろう。

交響曲の定型通り、4つの楽章で構成されている。演奏時間は約35分。

「暗から明へ」という構成をとり、激しい葛藤を描いた第1楽章から瞑想的な第2楽章、第3楽章の不気味なスケルツォを経て、第4楽章で歓喜が解き放たれるような曲想上の構成をとっている。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する