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2020年08月06日22:38

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直接うがい薬の効果の噺しではないのだが

うがい薬使用呼びかけに苦情
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6185592


昨日のこと

東京の小学校も夏休みになって、近所の小学生の子どもたちを、ある場所で「お預かりの遊び場貸し」ということをしているので。
子どもに慣れた爺として、ちょっと覗いてくれないかとのことで。

暑さで野外活動は、とうてい無理なので、コロナで空いた広い施設にうまくもぐりこんだとかで。
それなら、冷房と窓開けの熱中症対策ぐらいなら、とのことで、大きなマスクをつけて顔をだしてみました。

やってきた子どもたちは、ほとんど親の都合で来たという、偶然の組み合わせなので。
小5の男の子3人だけが、仲間内で。
のこり10人前後は、小1〜3までの女の子たち(男子は2名ほど)で、それも同学年なので、やっと名前を知っているぐらいの付き合いでした。

女の子は、塗り絵をしたり、マンガをみたり。
たまに彼女たちの、風船バレーボールにつきあったりして。

3人の小5の男の子たちは、マスクしながらも子犬のようにツルンで、マンガに熱中でしたので、手間もかからず、放置してました。

ワタシ以外で手伝いに来ていた近所の老人たちは、おそらく教職経験者か世話好き老婆たちが殆んどでしたが。
しかしまあ、リーダー役の教員OG2名以下のおばさんたちの、どうでも良いことを、こまごまと、口うるさいこと。
宿題をやっていた勤勉な小2の男の子に、彼が宿題をやる順序に口出して、「ウッサイ、婆あ!」とやられて、世話好き婆さんは傷ついてましたがwww
もちろん中には、ムキになる幼稚な婆もいましたがwww

それにしても自分の心に浮かんだ心配を、そのままクドクドと口にすることで、「子どもは幼稚でいるべきだ」とのメッセージを絶えず送り続けることが「教育」だという、日本の集団圧力の原型と実態を、改めて現場検証したおもいでした。

これを20歳前後まで続けられていたら、思考力も感性も「劣化」するはずですよ。

今、毎日続く都知事の記者会見を後目に、羽目を外してコロナ蔓延の元凶になっている30歳以下の若者は、こうした愚かな大人が「劣化させた子どもたちの思考力の結末」でしょうね。

ところが、その中にいた、ちょっと小1にしては大柄な女子から、帰り際に、「さよなら」でもなくて、「今日は友達がいなかったので、遊んでもらって、良かったです」と、静かに言われました。

この子、小1ですよ!
入学式もままならず、学校でも「三密禁止」で、友達がちゃんと出来ている子は、男の子も女の子も、あまりいないようです。

そうした状況のなかで、初対面の爺相手に、気取りも無く、自分の気持ちを、これだけ素直に表現できる子に、大人は、「帽子をかぶれ、水分補給しろ、マスクしろ、離れて座れ、日陰を歩け、気を付けて帰れ」と、思いつくままの心配を、よくもまあ、子どもに注ぎこむもので。
子どもは、老人の心配のクズ籠じゃないわけで。
これでは、子どもはウンザリするだけでしょwww

しかし「子ども」というだけで強いられる、そうした小言生活でも、育つ子は育っているんです。

今75歳のワタシは、触れたというだけでは3万人からの小中学生に、現役時代には接触してきましたが。
その中でも、過去1人だけ、そうした女の子に会ったことがあります。
その子は小6で、いつ社会に出しても通用しそうな、受験する私立中学の受験準備を3か月と限定して、志望校も段取りもすべてを自分で決めてしまう自立ぶりに、その母親は、オタオタしてましたがwww
もちろん一流私立中学に、合格していきましたがwww

昨日の小1の女の子もまた、資質だけでなく、恵まれた環境なんでしょう。

その子のそばにいた、小2の女の子は、小ウルサイ母親に飲み込まれているようで、その口真似のように、ワタシがやることに、いちいちケチをつけてましたからwww
まあそれはそれで、うちの女房と同じで、彼女なりの「愛情表現」なことぐらいは、75歳の爺ですから、理解できてますけど。

やはり母親次第なんでしょうかね。

日本人の「集団圧力文化」は、この「飲み込むか・飲みこまれるか」の小言嵐のトラウマが原因の、ptsd(外傷後ストレス障害)じゃないですかね。

一方、小1の女の子が見せた、自分の位置を確認しながら、相手を思い、その関係を整理して、良好な関係性を築き上げることなど、どこぞの大臣や知事知事などの、無駄口しかしゃべれない今どきの著名な政治家たちにも、真似できないことです。

しかも小1の子の表現は、ワタシの放任対応を見抜いて、大人の顔色に忖度しているわけでもなくて。
「子どもたちの安心安全環境の保全」にのみに集中していたワタシの対応から得た、「被保護者としての、居心地の良さ」を素直に表現したとしかおもえないわけで。

これは普段から、ウルサクいわれ続ける子どもにだけにわかる、「静かな安心安全なオモテナシ」への、心地良さの印象表明なわけで。

ちょっとしたリゾート気分だったのかもwww

「何も働きかけないで、静かに見守ることで、その子が持っている本来の資質と自信を引き出すこと」が、教育の「神髄」でして。

小1の子は、恵まれた資質によって、ワタシの「子どもが問題を持つことは子どもの基本的人権」で、だから「問題は自分で考えろ」の放置教育法に、見事に適応したケースだったのでしょう。

数十年に一度、会えるかどうかわからない、逸材ですね、あの子は。

小1で、あそこまで「自分と相手」「自分と環境」の社会的距離感のセンスが育っていたら、もうなんの心配もないでしょう。

世代別犯罪率は、価値観が混乱した昭和18年(1943)生まれが高いと、聞いたことがありますが。
将来「ゆとり世代」とともに、「コロナ世代」と呼ばれかねない、身勝手な勝手な「断腸の思い」とかからの「全国休校」災害にあったり、「マスクしろ」「いやマスクはいらない」とかって、混乱の渦中の今の子どもたちなかでも、当然ながらきちんと育っている子がいることに、改めて安心した次第です。

コロナ禍は、子ども社会でも、いろいろなことを浮き彫りにしてくれてます。

つまり、大人が相手でも子どもが相手でも、「良い」と思ったことをなんでも口にすれば「仕事」という思い込みは、大人はこの際、「それは誰のためのしゃべり?」と、一度自分に問いかけてみたらどうですかね。



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