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2020年04月21日12:55

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生きていくのになんの役にも立たないテッちゃんの無駄知識講座

1945年8月15日 大日本帝国降伏

朝鮮半島は 北緯38度を境として
北側をソ連 南側をアメリカが 分割して暫定統治が始まりました

この時 アメリカが送り込んだのは
「朝鮮半島の人は 大日本帝国の教育を受けている敵国人」
と考えたノース陸軍少将
一方ソ連が送り込んだのは
宣伝戦にもアジテーションにも大衆扇動戦にも長けていたチッチャコフ陸軍元帥

軍隊の世界で少将と元帥では 話にならない事をアメリカ国務省は指摘していましたが
要は 対日戦はマッカーサーの「個人的戦争」だと考えていたアメリカ政府は
マッカーサーに華を持たせる為にこの状況を放置しました

金日成は 出自があーだこーだと言われていますが
「本質」は 出自ではなく
このチッチャコフ元帥を師としたことです

1950年6月25日(韓国語で「ユギオ」)
朝鮮戦争勃発

釜山橋頭堡の戦い〜仁川上陸〜北進

この状況を見た 当時建国間もなかった中国は
北朝鮮を守らないと
自国の国境線までアメリカの影響下になる事に危機感を持ち
毛沢東は 最初は林彪に「行け」と言いました
しかし林彪は「政治的軍人」で
自らの権力基盤が 自らの私兵である事を理解していたので
これを断りました

次に毛沢東が目をつけたのが彭徳懐
彼の私兵も異様に強力でしたので
毛沢東にとっては「政敵潰し」でした

で 彭徳懐の私兵が朝鮮半島に入り 形勢逆転

これによりショックを受けたアメリカ政府は
「マッカーサーでは相手にならない」
事を悟り
マッカーサーを更迭して
アイゼンハワー旗下でナチス・ドイツをボコった多くの将軍を送り込みました

でも ナチス・ドイツを倒したレベルの将軍が集まっても
彭徳懐の私兵を蹴散らすことはできず
結局休戦協定に至りました

あのアメリカが
「何をどうやっても勝てなかった」
初めての戦争でした

今 北京とモスクワが最も嫌なのは
1:北朝鮮の核が 自分たちに向くこと
2:北朝鮮がアメリカと手を組むこと
の2つなので
北京とモスクワは 常に「この文脈」で見る必要があります

一方 東京が最も嫌なのは
新しい38度戦が対馬海峡になること
ワシントンが最も嫌なのは
中国海軍が第二列島線を越えて太平洋を侵食すること
なので 東京とワシントンは 常に「この文脈」で見る必要があります

ソウルにとって最も嫌なのは
1:北朝鮮に中国の傀儡政権が樹立されて 38度戦まで中国軍が展開すること
2:今の韓国の経済状況で 北朝鮮の面倒まで見ながら 中国ロシアと国境線を接すること
なので ソウルは 常に「この文脈」で見る必要があります

狐と狸の化かし合いが「テーブルの上」では続くはずです

その「テーブルの下」では…


蛇足:

北朝鮮の軍部内では
いっそアメリカ相手に宣戦布告して 形だけの攻撃をして
アメリカに降伏した方が
その後アメリカが降らせてくれる「援助の雨」によって
民が救われる と考えている「分子」も居ると聞き及んでいます…

その「形だけ」が 何になるのか…









■金正恩氏情報、収集・分析=菅官房長官
(時事通信社 - 04月21日 12:02)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=6055119
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