言葉を知ればその意味や背景も学べる。
知識量がふえることは知性の拡大と因果関係が明白な正の相関関係がある。
だが同時に知識習得方法が言語である限り、言語依存による表現範囲の壁が知性の拡大を止めてしまうのだ。
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コレは言語に限らず、図形や表やグラフや数式にも同じ事が言える。
人間は感覚器によって認識できる情報以上のことを考えることは普通はできない。
顕微鏡で肉眼では見えない細かいものを見たり、可聴域外の音を波形にする技術など、拡張知覚は単純に知性を増大させる。
しかし人間の知覚で理解できるものに置き換えられない事象は観測できず、知性拡大の壁となる。
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知性の壁となる事柄のもうひとつが、その事象の頻度だ。たとえ知覚できたとしてもその因果関係の周期が長いものには統計的な解釈がしにくくなる。
判断材料が不足するのだ。
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知性には「知覚して認識できること」という壁があるのだ。
人に限らず多くの動物がその範囲で知性を発揮しているのが観測できるだろう。
ここでサピエンス全史(ユヴァル・ノア・ハリス著)にある「ホモサピエンスは嘘を使えることで進化した」的な解釈が意味を持ってくる。
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嘘という言葉では含意が広くここで述べたい意味以外を多く含むので「知覚や認知できていないことを、まるで知覚したかのように仮説を立てて認知と見做すこと」と定義し直す。
「虚像の想起」とこのことを定義しよう。コレが知性拡大の壁を越える方法のうち重要なものになるのだ。
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「虚像の想起」によって知覚できないが認知したと見做すことは、広義での仮説立案と同じ意味である。
その仮説に相関関係がある事実を紐付けて因果関係が想起できることは「想像力」であって、現実との接点に誤りが証明できるものは「妄想」であって、現実とに接点が不明なら「絵空事」となる。
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知性の壁を越えるためには、想像力を意識して妄想と区別し、絵空事を妄想と同一視しない情報の整理が必要なのだ。
ここまで整理されると「現実との接点」が知性において重要な要素であると予見できる。
ここで話題の最初に戻り考え直す。
言語表現に依存する限りその限界を超えた判断が困難なのだ
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正しくない想像に至る事実との紐付けを認知の歪みをバイアスと呼ぶ。
つまり知性の壁を超えたあとは、バイアスを最小化にする思考が必要になるのだ。
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