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2020年02月11日18:51

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功績

■野村克也さん死去 生涯捕手貫いたノムさん最後のボヤキ
(AERA dot. - 02月11日 10:25)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5969004


いずれは訪れるもの、と分かってはいても「ついに、か」という気持ちが拭えない。
名捕手といえばこの人をおいてほかにないであろう野村克也氏が死去。
自分の世代だとキャッチャーといえば山倉(巨人)か伊東(西武)、あとは達川(広島)だったと思われる。
見る人によるだろうとも思うが、ナンバー1というのなら西武の黄金時代を支えた1人でもあった伊東勤だろう。
当時はプロ野球自体が巨人第一主義だったこともあって山倉は外せないが、他、木戸(阪神)、中村(中日)、中嶋(オリックス)、田村(日本ハム)あたりだろうか。

ところで、いきなり話が逸れるが……ある程度までなら当時の選手を覚えているのだけど、ナゼか当時のヤクルトのキャッチャーというのを覚えていない。誰か教えてクダサイ。


それはさておき。
個人成績という点でみると、当時の感覚としても野村はズ抜けていた、と感じていた。
すでに個人で通算200勝は難しかったし、本塁打500本も果たしてどうか、とか考えられていた時代である。その時代から見ると王はもとより金田や米田、張本らの伝説めいたエピソードはもちろん驚嘆モノなのだが、それでもなお野村はその中にあっても群を抜いていたように感じるのである。
そう思うほどにキャッチャーというのは打てなくていいポジションだった。
山倉なんか見れば明白である。打率は2割とちょっと。確かに山倉が打って活躍した、という印象はまったくない。木戸や達川もそれに近く、せいぜいが中村や、後に台頭してくる村田(巨人)らが打率は低くてもパンチ力のある打撃でホームラン数を稼いでいたくらいだろう。
しかし、それですら当時はかなりの驚きだったのだ。
キャッチャーが打てるのなら打線としてはかなり意味がある。次打者の9番(ピッチャー)は打てないわけだから、回の先頭が7番打者だったりすると「あー、この回はダメだ」とか思っていたものだ。しかしキャッチャーが打てるのならそれもなくなる。
その意味で、中村や村田は当時としては珍しい存在だったように思う。


そして、それが明確に変わってきたのが古田(ヤクルト)以降である。
野村が監督に就任した当時のスワローズは、池山と広沢のチームだった。中軸は固まっていたのである。その後の黄金時代を支えた飯田や土橋らもいたと思うのだが、イマイチ印象に残っていない。
スワローズは4位を定位置にしているチームであり、めだたない存在だった。
おそらくは野村の前任だったはずの関根もガツガツしたタイプじゃなくて、のらりくらり、という感じで勝負に徹しているという感じはあまりなかった。
そして、そんなチームの監督になったのが野村である。
当初、そこまで話題にはならなかった気がする(記憶にある限りではw)。しかし野村はチームの意識改革に取り組み、数年後に花開くことになる。
その功績が野村にあったのは周知の事実だ。

勝てば選手のおかげ。負ければ監督のせい。

これは結構、プロ野球界の風潮として長らく残っていた感覚である。
勝っても控えめなタイプの多かった日本人監督は謙遜してこう言っている、という面はある。
しかし監督の功績、というのはプロ野球で語られてくることはあんまりなかった。それこそ名将と呼ばれた人くらいだろう。
監督の手腕、そしてそこからくる評価、というものを意識付けさせたのもあるいは野村だったのではあるまいか。選手時代の活躍がベースになって監督になるのが基本のプロ野球界ではどこか監督の評価をする、というのがタブーだったようなきらいがある。
どこか避けているのだ。
勝てればそれでいいし、負けてもそれもいい。何かそんな感じだった。
別にそれが嫌いなわけではない。勝っても楽しみ、負けるのも楽しむ。そんな空気が当時のプロ野球界にはあったのだ。
良くも悪くも緩やかな時代だった。
野村はそれに一石を投じたわけではないが、監督に対する正しい評価というのはプロ野球界の何かを変えるきっかけになったのではないか。それが良いのか悪いのか分からないが、時代にあった変化ではあったような気はする。


野村は精神論ではなく、理論で野球を語る。素人が聞いても何かつい納得してしまうような分かりやすい理論だ。
野村語録とか言われたが、聞く価値のある言葉だったと思う。
彼らは野球選手だが、それと同時に1人の人間である。プロとして野球の技術を磨くのは当然。しかし同じように人間としても磨かなければ結局は表舞台には出てこれないし、出ても短命に終わる。
そういう、ただ野球選手としてではなく人間としての生き方、みたいなものが説かれていたから多くの人間の心に残ったのだと思う。ボヤキ、というがこれは多分、本当に正しい表現なのだ。
命令は出来ない。
監督が選手に言ったからといって強制力はない。それに従うかを決めるのは選手である。
ましてや生き方、暮らし方なんて領域になるとますますそうだろう。個人の自由だし、誰かに押しつけられることでもない。
命令ではないからこそ、だからボヤキなのだ。
「こうすりゃいいのに」とか「何でコレやんねえかなあ」とか、そういう力の無き言葉。
その言葉に野村克也という存在が力を与えたが、それでも根本的には無力なもの。それが彼のいうところのボヤキ、なのだろう。
……そこには愛があった。
チームのベンチで横に身体を投げ出して足組んで。
行儀がいいとはいえなかったが、そんな姿にすら愛はあった。多くの選手を育て、選手を育てるとはこういうことだということを野村は常に体現していた。
いつも上手くいっていたわけではない。
しかし、だからこそ愛が必要だったのだ。
チームへの。そして何よりも選手への。それがなければ選手も監督もチームのただのパーツでしかない。1つのパーツだけでチームが強くなることはなく、ましてや資金力が弱いチームでは勝っていくことさえ難しい。
1+1を2ではなく、3にも4にもするには上手いことすべてを結びつける愛がそこに必要だったのである。


野村克也氏の冥福をお祈りいたします。
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