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2020年08月04日19:52

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訃報(元義理の父)

離婚した元妻のお父さんが亡くなった。

今日は月に一度の糖尿病の定期検診で、休暇を取った。
朝8時に家を出て、病院について保険証の確認、採尿と採血をして、結果を待つ間、家から持って来た新聞を読んでいた。
いつもは余り気にしない死亡欄を見た時、「エッ?!」となった。

7月28日、病気療養中のところ69歳をもって永眠しました。

離婚した元奥さんのお父さん(元義理の父)の名前と同じだったので、親族の名前を確認したら・・・。

間違いなかった。
お父さんだった。

元嫁とはいろいろあって離婚した。
離婚後も、お父さんとお母さんは私のことを(変わらず)息子だと言って、応援してくれた。

でも、元妻とのこともあり、だんだんと疎遠に。
そうなると一層連絡が取りづらくなってしまい、もう何年も連絡していなかった。
でも、便りがないには良い便りだと思ってた。

実は元義理の母の方が、脳梗塞と脳出血を患い、長い間闘病生活をしていたので、そっちの方が心配だった。

いきなり元義理の父の訃報を知って、ショックと動揺の中、主治医の診察を受けた。
血糖値の状態は高値安定。
仕事のストレスが相変わらず悪影響を与えている。(と思っている)

診察後、どうしよう?と悩んでいた。
今日は1日休暇を取っていたので、すぐに線香をあげに行くべきなんだろうか?
それとも、離婚したのだから関わらない方がいいのか?

それで、元妻にメッセージを送ってみた。
離婚後に連絡を取ったら「もう連絡しないで」と言われたので、10年近く連絡を取っていなかったので、電話番号が変わっているかもしれないけど、メッセージを送ってみた。
「お久しぶりです。元気ですか?新聞でお父さんの訃報を見ました。お線香をあげに伺いたいけどどうですか?嫌なら行きません」と。

すると、
「私は会えないけど、(午前中は手続で不在なので)17時なら良いです」と返事が来た。

新聞の親族の元妻の苗字がそのままだったので、再婚はしていないみたい。
でも、お姉ちゃんの名字が変わってた。
小さかった姪っ子、甥っ子はどうなってるんだ?と思いながらも、
幸せだった結婚生活やお父さんお母さんによくしてもらった思い出を思い出していた。

昔の実家から近い場所に引っ越ししているらしく、新しい住所も元妻から聞けた。

そして17時。

喪服に着替えて、香典を持って、元妻の家に向かった。
17時ちょうどに家の前に着いた時、向こうからお母さんが歩いて来た。
たまたまどこかに出かけていたようで、私の姿を見ても気付いていなかったので、私は名前を告げた。
すると、申し訳なさそうに家に招いてくれた。

新しく建てた家に入ると、お姉ちゃんと、知らない男性、小さな女の子、そしてお母さんの姉(良くしてくれた)がいた。

どうやら元嫁からは連絡が入っていないのか?ただ単にどう接したら良いのか分からないのか?よそよそしい感じだった。
当たり前だけど。

私はすぐに仏壇の前に行って、線香をあげさせてもらった。
私も緊張していたので、手順がめちゃくちゃだった。

お父さんの遺影は、制服姿の私も知っているものだった。
線香をあげて、手を合わせてご冥福を祈り、ご無沙汰していた謝罪をした。

もし離婚していなければ、どんな人生だったのかな?と考えたりもした。

その後、お母さんと少し話した。
お父さんは2年前ぐらいに直腸癌が見つかり、その時にはすでに肺に転移していてステージ4だった。
一度退院したものの、数ヶ月前に意識を失って救急車で運ばれて、数時間心肺停止の状態だった。
そして主治医に「一週間もつかどうか」と宣告されていたようです。

もともと病院が大嫌いで、「病院行くなら死んだ方がいい」とよく言ってた。
それに、ビールとお刺身が好きで、毎日晩酌をしていた。
私がよく家にお邪魔している時は、楽しいお話をいっぱいしてくれた。

「娘さんと同棲したい」とお願いした時に、両親から「そんな中途半端はゆるさない」と珍しく反対され、元妻と結婚することになった。

同棲以外は実の息子のように接してくれた。

そんな私たちが離婚するとなった時、私たち以上に両親が悲しみ、寂しがってくれた。
「なんとかやり直せないのか」と何度も私に聞いて来たが、
嫁の決心が固かったので、私にはどうすることもできなかった。

「娘さんを幸せにする」と誓って結婚したけど、結局それを達成できなかったので、申し訳なさとどう接したら良いかわかない私がずっといた。

お母さんからいろいろと話を聞いて、お姉ちゃんが再婚して子どもが生まれたと聞いた。
「あの子がそう」と3〜4歳ぐらいの女の子を指さした。

約10年、お互いいろんな時間が過ぎたのを改めて感じた。

お姉ちゃんの元旦那さんもいろいろあって、そっちが離婚すると思っていたら、私たちが離婚して、私が実の子どものように可愛がっていた元旦那さんとの甥っ子と姪っ子の姿はなかった。
もう高校生ぐらいになっているだろうから、会っても分からないだろうし、向こうも覚えてないだろうなぁ。
よく汗びっしょりかいて、遊んだあの頃のこと。

甥っ子と2人で温泉に行った時。
5歳ぐらいだったかな。
湯船から出て、体を洗おうと椅子を持って来たら、甥っ子がタオルで濡れた椅子を拭いてくれて「トット(当時の私の呼び名)、はい、良いよ!」と言ってくれた。
私はそんな優しい甥っ子に驚いた。
私たちには子どもができなかったので、親子ごっこができただけで幸せだった。
今でも、この風景を思い出すと涙が溢れてくる。
元気でやってるのか?聞くこともできなかった。
当然、元奥さんの近況も聞けなかった。
おばさんも居間から居なくなって戻ってくることはなかった。

15分ぐらいして、私は家を出て来た。(私にはもっと長く感じたけど)

私は離婚して以来、ずっと重い十字架を背負っている。
1人の女性を幸せにできなかった罪を。
持病がある私と結婚してくれたのに、幸せにできなかった罪が、まだ私には償い切れていない。
元妻が幸せに暮らしていることを望むけど、名字が変わっていないってことはどうなんだろうなぁ?
私には関係ないことなんだろうけど、心配してしまう。
でも、関わらないことが一番なんだろうと思う。

よく10年ぶりに連絡したのに返事くれたなぁ。
それだけでも感謝しなくちゃな。

誰にも言えない今の気持ち、今日の出来事でした。

あぁ、私の実家(父)から「お父さん亡くなったみたいだぞ」と昼過ぎに連絡が来ていました。
うちの両親にも迷惑かけたなぁ。
出来の悪い息子で申し訳ないです。

離婚後、ガムシャラに仕事頑張って来たけどそれも報われず、最近、なんのために働いているのか?全然分からない仕事内容に鬱っぽくなっている私がいるので、
いろんな意味で、いろんな思いがごちゃ混ぜになった1日でした。

頑張って生きて、いいことあるのかな?
仕事頑張って、体酷使して、睡眠時間削って、なんの意味があるんだろう?

お父さん、話を聞いて欲しかったです。
今の私はどう見えますか?

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